ジル・ド・レ - 青髭

ジル・ド・レ - 青髭(1)

ジル・ド・レといえば、子供の大量殺人者で青髭のモデルともなった人、あるいは、ジャンヌ・ダルクの同志で百年戦争の勇士といったイメージが存在する。

このような伝説的な人物は、現在、残っている物のほとんどが伝説と後の推測・創作であり、何が事実なのか、はっきりしたことは分からない。裁判資料は残っているのだが、この時代の裁判はまず結果ありきで、証言などは拷問で得られるため鵜呑みにはできない。

少し調べたところ、ハンガリーの血まみれ女伯爵エリザベート・バートリーの場合と似ている。どちらも若年者(少年・少女)の大量殺人で、有力な貴族であり、教会からの告発により事件が明るみに出て、共犯者への拷問により証言が得られ、当時の有力者の関与があり、財産を巡る陰謀説が出ているという。

実際のところ中世や近世初頭において領主が農民・貧民の何人かを殺したところで、事件とされることはなく、おそらく後世に知られていない似たような話は探せばかなりあるはずだ。この2人が有名なのは、その規模が大きいためか、あるいは権力側の意図が働いて敢えて公にしたかである。

しかし、中世末期ともなると人数や殺し方などに誇張はあっても、あからさまなでっち上げは難しい。政略で罪を着せるなら、もっと地味で信じ易い事件を仕立てるだろう。

さて、ジル・ド・レは百年戦争休戦時(しかし、フランスは内戦時)の1404年にブルターニュで生まれた。彼の両親の結婚は若干、複雑な政略結婚で、本来、父ギー(ラバル家からド・レ領を相続)が継ぐはずだったド・レ/ラ・サージュ領の相続者がマリー・ド・クランになり、その父ジャン・ド・クランとの争いの妥協策として両者の結婚が決まったようである。

1415年の初頭に母マリーが死亡し、同年に奇しくも父のギーが狩猟中の事故で死亡*1し、さらに、その少し後のアジャンクールの戦いで、彼の母方の伯父でド・クラン家の跡取りが戦死した。このため、彼は、父のド・レ領、母のラ・サージュ領を相続し、そしてド・クラン領の推定相続人となったのである。

*1 母の死は病死で問題ないだろうが、同年の父の事故死は怪しい。歴史上、狩猟中の事故に見せかけた暗殺はしばしば起こっている。マリーが死亡すればラ・サージュ領はジルの物になり、ギーがその後見人となって、ジャン・ド・クランの支配力が及ばなくなるからである。

父の遺言では、父方の従兄弟の後見を受けるはずであったが、それに反して、母方の祖父ジャン・ド・クランが後見人*2になった。ジャンはかなりの野心家であり、ブルターニュ公家とも政治的コネがあり、ジルを通してその相続財産を自由に操つろうと考えたのだろう。このような利益本位のやり方がジルの性格形成に影響を与えたと思われる。

早くから裕福な女性相続人とジルの結婚を計っていたが、いずれも失敗に終わると、ジルが16歳の時に近隣の領主の娘カトリーヌ・ド・トアールを誘拐させ、結婚*3させている。

*2 ド・クランの推定相続人にもなっているため、ジャン・ド・クランが後見人になること自体は不自然ではないが、当初からの予定の行動に思われる。
*3 略奪結婚はそれほど珍しいことではなく、私戦権のある世界では違法という訳でもない。

百年戦争において、ブルターニュ公領は、状況が少し複雑で、百年戦争初期のブルターニュ継承戦争では、フランス王とイングランド王がそれぞれ別の継承主張者を支持し、イングランド王が支持した方がブルターニュ公になっているのである。ブルターニュ公は百年戦争中は、その時々に両者についていたのであるが、一方、ブルターニュの騎士・貴族は、傭兵的立場でフランス側に参加することも多く、フランス王軍司令官もベルトラン・デュ・ゲクラン、オリビエ・ド・クリソン、アルチュール・ド・リシュモンなどの有名どころは皆、ブルターニュ人である。

ジャン・ド・クランはヨランド・ダラゴンの知己を得ており、1425年ごろからジルもフランス王軍に参加して、いくつか戦功も立てたようである。1429年のオルレアン攻防戦とその後のロワール戦役でも功績をあげて、同年7月にフランス王軍の将軍(マルセル)に任命されている。この辺でジャンヌ・ダルクと共に戦っているため、いろいろと想像や脚色される訳だが、2人が親しかったという話は特にはない。同じ戦場での指揮官だから顔くらいは知っていただろうが、ジャンヌの特殊な事情を考慮すると一般の騎士・貴族*4たちとは距離があったと思われる。

*4 彼らにとって平民で女性のジャンヌは明らかに異質な存在で、一種の巫女として、人によって反感あるいは畏敬を感じていただろうが、戦友とはとても考えられないだろう。

また、マルセルという職は近代軍においては元帥と訳されるため、随分高い地位に思われるが、君主の直属軍の部将の1人にすぎない*5。通常は4、5人なのだが、この時は論功行賞のため10人以上に与えられており、また封建軍においては封建諸侯の軍が中心で、これをもってフランス軍の重要な地位にいたとは言えない。

*5 日本の江戸時代で言えば、旗本の1部隊を率いる組頭といった格か。

ジル・ド・レ - 青髭(2)

ジャンヌの火刑が1431年であり、そのころから殺人が始まったとして、百年戦争の英雄がジャンヌの死で精神に異常をきたしたと、その影響を示唆しているものもあるが、彼の共犯者である従者のポワトゥが1427年から雇われており、彼は最初は犠牲者として連れてこられたが、美しかったため助けられて手伝うようになったという説があり、これが正しければ、それ以前からである。戦場の周辺で子供が2~3人行方不明になったところで、戦闘の巻き添えをくったとしか思われないだろう。むしろ、1432年に祖父のジャンが亡くなっており、これで抑制となる存在がいなくなり、タガが外れて、以前から時々、行っていた行為がこの時期以降に拡大したと思われる。

ジャンヌの失脚は同時にフランス宮廷における勢力変化でもあり、勢力争いの渦中にいる訳ではないとは言え、ジャンヌの功績に関わっている彼は遠ざけられ、影響力を持っていた祖父のジャンが亡くなって完全に軍務・政務に居場所をなくしたのだろう。

彼は3つの豊かな領地を持つ非常に裕福な領主だったが、おそらく軍務にかなりの金を使っており、さらに軍務を離れた後は、所領に引きこもり豪奢な生活を送ったため、早々に金に困るようになった*6。

*6 彼の軍務は一種の傭兵であるが、貴族として手柄を上げようと思えば、支払われる金額より多くを使って兵を雇うことになる。また財産は大きくとも、消費できるのは領地からの地代のみのため、定常的に大金を使えば借金がかさむことになる。

周辺の村での少年の行方不明が増えるにつれ、いろいろな噂が広がったが、直接的にジル・ド・レが疑われることはなく、また、疑われても貴族の特権として明確な証拠がない限り取り調べられることはない。

しかし、金に困って所領などを売り始めたため、1435年に弟のルネを始めとする親族が王権に訴えて売却を禁止させた*7。さらに、彼の浪費に対して弟は王に兄の財産を差し押さえることを働きかけ始めた。おそらく、一族は既に彼の行為に薄々気づいていたが、公にすることは好まず、財産を差し押さえることで阻止しようとしたのだろう。

*7 世襲財産は一族の共有財産という認識があり、一族の承認なしに世襲財産を売却することは本来できないのである。

金銭的に追い詰められたジルは絶望的な行動を取った。1440年に差し押さえを担当する財務官の弟の司祭を誘拐し、取り止めるように脅迫したのである。これが致命傷となった。教会の権威は盛期と比べればかなり落ちているが、それでも明白な暴力を見逃すことはなかった。ナント司教がこの件で密かに捜査を開始し、これらの被害者の家族などの証言を集めてジルを糾弾したのである。

これによりフランス王、ブルターニュ公などの許可が出て逮捕が請求された。こうなると貴族であるジルはともかく、共犯と目された召使たちは拷問にかけられ、証言を取られる。それらの証言を見せた上で、自白を求められたジルは、当初は抵抗したが、拷問すると脅され、さらに破門されると観念して一連の告白を行った。

所領において、周辺の村から少年たちを誘拐し、彼らが恐怖で引きつる顔を見て楽しみ、嬲り、殺す前後にソドミーを行い、死体をさらにバラバラにして弄んだといわれ、サディスティックな性的欲望を満たしていたと考えられる。また、金に困ったため、錬金術、黒魔術、悪魔召喚などを試み、その生贄として少年達を使ったという話もあるが、この辺は宗教・教会がらみの裁判では定番の糾弾*8のため、必ずしも信用できない。明確な被害者の数は分からないが、少なくとも40人以上で、多分、100人以上、説によっては数百人というものもある。

*8 教会による裁判で裁くには、基本的に異端として告発する必要がある。

共犯者である彼の召使たちは絞首の上、死体を焼かれ、その灰は撒かれたが、ジルは絞首のみで、教会での埋葬を許された*9。

*9 焼かれて灰が撒かれると最後の審判の後に復活できないとされたため、キリスト教徒において最も重い罪とされた。異端者が火刑にされるのはそのためである。ジルは貴族であることと、告白により罪を減じられたためである。

ところで、彼は明らかに小児愛好者(ペド)で同性愛者(ホモ)で加虐性欲者(サド)であるが、一方、青髭は異性愛者であり、妻を殺したり傷つける嗜好があったともされていない。むしろ、中世カトリック世界において、妻に子供ができずとも、離婚もできないため、しばしば密かに妻殺しが行われたことについての噂を反映しているようであり、その点ではヘンリー8世がモデルとする説の方が近いように感じられる。

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