百年戦争において、クレシー、ポワティエ、アジャンクールでフランスの大軍を打ち破ったロングボウはイングランドの秘密兵器と見られることもあるが*1、ロングボウ自体は古くからウェールズで使用されていた長弓に過ぎず、真の秘密兵器はその集団運用とそれを可能にしたロングボウ兵の育成なのだ。
*1 騎士と歩兵 参照
ロングボウは1.5~2.1mの長弓で、訓練されたロングボウ兵は1分間に平均6発、最大10発、発射することができたと言われる。この為、1分間に2発程度のクロスボウより実戦では有利だったが、長大で威力のある分、使いこなすには厳しい訓練が必要とされ、熟練したロングボウ兵は左腕と左肩*2、及び右手の指が発達し、骨格が変形するほどだった。
*2 ちょっと意外だが(弓道をやっている人なら当然なのかもしれないが)、弓を持つ左手の方が力が必要なようだ。
矢筒には24本の矢が入り、馬に乗って移動する際には2~3の矢筒を持ち、戦場では60~72本の矢を予め土に突き刺して並べることで速射できるようにしていたが、状況に応じて追加の矢が補給されるため、この数に制限されるわけではない。
戦場での基本的な陣形は、本体の両サイドに八の字型にロングボウ兵を並べるもので、騎馬の突進を防ぐ為の杭、柵、溝などを予め設置しておく必要があった*3。
*3 従って陣地を構築して待ち受ける守備的な状況が得意で、遭遇戦は苦手とした。
平均射程は370mぐらいで、鎧を貫通できたかについては様々な議論や実験があるのだが、概ねメイルアーマー(鎖帷子)は貫通可能で、安物のプレートアーマー(板金鎧)や薄い部分は状況により貫通可能だが、ミラノ製などの高級プレートアーマーの主要部は貫通できなかったとの見解が主流のようだ。
実際には、大力の射手が至近距離から垂直に当てれば貫通する場合もあるだろうし、貫通しても下に皮鎧、綿入れ(ギャンベゾン)や鎖帷子を着込んでいれば身体には到達しないこともあるだろう。
貫通はしなくとも、多数の矢が当たればその衝撃で落馬することも有るし、脳震盪を起こすことも有り得る。また馬鎧は人の鎧よりも薄いため馬に当たれば落馬させる効果はある。従って、実戦での効果を騎士の鎧への貫通のみで判断するのは、あまり意味がない。
鏃(矢尻)は狩猟用には様々なものが使われたが*4、戦闘用にはショート・ボドキンが主流で、その他、目的に応じて細い錐状のニードル・ボドキンやブロードヘッド*5などが使用された。
*4 右図の最上がニードル・ボドキンで、二番目がショート・ボドキン、最下がブロードヘッド。ボドキンと言うと錐(きり)様の物を思い浮かべるが、シンプルに尖ったヘッドのことで、ポンチ状など色々な種類があった。下図は最も使用されたショート・ボドキン。
*5 所謂、矢印(→)型で、対象に大きな傷を作る上に端が引っかかって抜けにくい為、狩猟や軽装の人に効果がある。意外な事に、日本ではこのタイプの物は戦闘には使われなかったようだ。
ボドキンは貫通力がある為、鎧の貫通を狙って使用したと思われていたが、実は鋼鉄ではなく安い鉄製のものが多く、少ない素材で大量生産できるため使用されたらしい。
ロングボウは速射性を生かして、1分間に6~10発撃って弾幕を張る使い方がなされ、非常に多数の矢が消費される為、コストは重要だったようだ。
多分、弾幕用とは別に至近距離の貫通用に鋼鉄製のボドキンも少数使用されたと思われる。
弓はイチイの木が主に使われたが、百年戦争の終わり頃には大量に海外から輸入しなければならなくなり、イングランドを訪れる船舶はイチイの材木を持ち込むことを義務付けられたと言う。
エドワード3世は全ての男子に休日にロングボウの練習をすることを命じており、農奴でも上手な者は弓兵として抜擢されたと思われるが、中心となるのはヨーマンと呼ばれた自営農民層である。
イングランドの1285年の政令では年収・財産によって保有すべき武器が定められており*6、年収15ポンド以上の土地を持つ者は馬を用意する義務がある騎士に準じた重装騎兵となり、それに対して年収40シリング(2ポンド)以上の土地を持つ者が弓を持って従軍する義務があり、40シリング以下の者は剣や斧やその他の武器を使う雑兵とされていた。
*6 大陸領土を失ってから、イングランドでは全男性に兵役義務を課している。但し、実際には税として全員から軍役免除金を取った上で、適格で希望する者を必要に応じて傭兵のように募集した。
40シリングというのは州を代表する騎士(後の平民院)を選出する参政権を持つ階層で、つまりイングランドのロングボウ兵は他国のような弓を使える農奴や猟師を集めてきた最下層の雑兵ではなく*7、通常、自営農民/ヨーマンと呼ばれる層が中心だったのだ。
この層は自営農民と呼ばれても、一日中、農作業をする必要はなく*8、毎日、ロングボウだけでなく剣やその他の武器の訓練もできるため、半農半士の郷士のような存在で、次男以下であれば傭兵として専業兵士となることもあった。
百年戦争では馬に乗って移動し、矢が尽きた後でも剣や斧や鎚で馬から下りた重装の敵騎士と戦って健闘できたのは*9、日頃から訓練を行っている戦意の高い自由民だったからである。
*7 但し、クロスボウは都市市民や傭兵が使用している。
*8 農奴と違い労役の無い分、時間には余裕がある。
*9 普通の弓兵は矢が尽きれば後方に下がる
中世の軍事国家イングランドの強さの秘密は、単にロングボウの威力だけではなく、それを使いこなし他の武器も使えるロングボウ兵が戦力の中心となった所にあり*10、だから他の国は真似ができなかったのだ。
*10 兵の2/3がロングボウ兵だった。