貴賎結婚

一般的に身分制社会では、身分差の大きな結婚は社会的に認めらておらず、また、それだけ身分差がある場合は、公式または非公式な側室・愛人・妾にすることが可能であり、社会的に概ね認められていたため問題となることは少なかった。

しかし、ヨーロッパの中世、近世においてはキリスト教的な道徳観念から、また近世、近代においては、身分制社会の崩壊と平民身分の意識上昇のため正規の結婚が望まれることが多くなった。

ドイツ語圏では、古くから左手婚とも呼ばれる貴賎結婚制度(morganatic*1)が存在し、これは身分が低い配偶者とその子孫が、結婚時に契約した財産以外の相続権、身分、称号を受けないことを条件に結婚することを可能にするものであった。

*1 語源的にはmorganaticは「朝の贈り物」を意味し、結婚の朝の贈り物以外の相続や贈与を伴わない結婚の意味となった。また、左手婚は結婚式において、新郎が通常の右手の代わりに左手で新婦の手を握ることで区別したことからくる。

そのような制度のない他の地域ではしばしば秘密結婚が行われた。これは、両者が結婚した事実を秘密とするもので、両者と神父以外には知られない厳密なものから、公然の秘密として知られているものまであるが、結婚した事実が公式には秘密となり、結婚に伴う世俗的権利が一切発生しないため、実質上、上記の貴賎結婚制度と同様の機能を果たした。但し、秘密結婚を後に公表することは可能であり、その場合、貴賎結婚制度が存在しないため通常の結婚と同様に扱われることになる(しかし、実際はその際に、通常の結婚より制限された称号、相続権が決められることが多い)。王侯における秘密結婚の公表はしばしば歴史上の大きな事件につながっている*2。

貴賎結婚制度が注目されるようになったのは、むしろ身分制社会の崩壊が始まった近世からで、身分差のある結婚が増えてきたが、ドイツ圏とその影響下にある地域では古い貴族制度が強く残ると共に、なまじ貴賎結婚制度があるため身分差の結婚により相続権を奪われることがハプスブルク家、ロシア、ドイツ領邦君主家などで発生し世界史的に注目を浴びるようになった。

*2 例えば、薔薇戦争に関係するものだけでも、オウエン・テューダーとヘンリー5世の未亡人キャサリン・オブ・ヴァロワの秘密結婚はテューダー朝の成立につながっており、またエドワード4世が別の娘と婚約していたため、エドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの秘密結婚は無効でありその子であるエドワード5世は嫡出子ではないというのがリチャード3世が王位を簒奪した時の主張である。

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