ローマ市民の生活はパンとサーカスとよく表される。「人はパンのみにて生きるにあらず」で娯楽も必要であり*1、逆にこの2つの要素が満たされれば、民衆は不満を持たず、鼓腹撃壌して満足するという先人の知恵である*2。
*1 言うまでもないが、キリスト教における信仰の重要性を説いたもので、そういう意味ではない。
*2 「パンとサーカス」と述べたローマの詩人は民衆が政治に関心を持たなくなった理由として否定的に挙げているが、政治というものは究極的には人々が必需品と娯楽を得られる社会を作ることであると言えなくもない。
このサーカスというのは、言うまでもなく現在のサーカスではなく(そういう要素も含まれるのだが)、円形競技場(コロセウム)での剣闘士、猛獣などの戦いや戦車レースのような競技が多分に演劇的要素も含めて行われるものだった。
人々はサーカスに熱中した。単に剣闘士の勝負を見るだけでなく、時には「アクティウムの海戦」などの実際の戦争を模した舞台と衣装を使った演劇的演出が用いられることもあり、さらに象、麒麟、犀、獅子、虎、豹、熊といった珍しいエキゾチックな動物を見ることができ、それらの勝敗を賭けて楽しむことができた*3。
*3 近代人の道徳観から見れば、人の死を賭けた戦いを楽しむことには人道的な問題があるが、定常的に戦争が行われている世界であり、見物している市民達も兵士として戦場で同じようなことをするのである。
しかしキリスト教が普及して力を持つと、殺伐とした殺し合いは禁止され、円形競技場も廃止されるようになったため、人々は代わりの楽しみを必要とした。
中世では、犬を熊、牛など様々な動物と戦わせることは祭り(フェスティバル、フェア)などで良く行われた。戦う動物により熊虐め(bear baiting)等と呼ばれたのは、強い動物にはハンディとして縄を付け、最終的には殺されるため虐めに見える訳だが、それでも個々の犬にとっては十分危険な互角の戦いだったのである。牛を使った戦いが現在まで続いているのがスペインの闘牛だとも言われるが、現代の闘牛は18世紀頃に確立されたもので、スペインはイスラム圏に在った期間が長く、ローマ時代の剣闘士と雄牛の戦いや中世の牛虐めとの関連性は明確ではない。
人同士が戦うのは12世紀頃から盛んになった騎士による馬上槍試合(トーナメント)などが、その代わりを務めたとも言える。高見に作られた観客席で見られるのは貴族層だけであるが、一般人もフィールドの外側で見ることができ、会場となる町は、集まってくる騎士と見物客、それを目当ての物売りで、しばらく前からお祭り騒ぎになったという。
決闘裁判も早くから告示され、市民達の多くが見物に訪れた。見世物としては、目隠しをして棒を持った人が、手探りで、豚や鵞鳥と戦ったり、人間同士で戦うのを見て楽しむことが行われた。
また、処刑も人気があり多くの人々が集まっている。結局、珍しいものなら何でも良く*4、王侯の戴冠式、結婚式、騎士叙任などのパレードや軍の行軍や凱旋にも多くの人が見物した。世の中が少し安定して交通が安全になると、余裕のある人々は巡礼*5と称して、有名な聖遺物のある教会*6に詣でたり、宗教的な祭事*7に参加したりした。
*4 珍しい物は話の種になる。テレビも印刷物もない世界では会話が1番手軽な娯楽である。
*5 チョーサーのカンタベリー物語もそういう巡礼の人々が語る話である。
*6 日本のお伊勢参りや金毘羅参りなど有名神社仏閣へのお参りと似たようなものである。
*7 ローマにおける聖年(50年または25年期)はヨーロッパ中から人が集まる一大イベントだった。
現在のサーカスや大道芸のような物をする芸人は中世には数多く、彼等はジャグラーと総称されるが、楽器などを演奏して恋や英雄譚(ロマンス)を節を付けて歌うことから、手品、動物を使った芸、パントマイム、火吹き、トンボ返り等のアクロバットまで、現在のサーカスと演芸を併せて行っていた。やがて、彼等は演劇的なグループと大道芸的なグループに分かれ、後者はよりアクロバティックな綱渡りなども行うようになった。
宮廷や貴族の家に飼われて似たようなことをする者は道化師(バフーン、フール)で、侏儒(こびと)や知恵遅れ、精神疾患の者もいたが、芸として行っている者もおり、シェークスピアの劇に出てくるような主人への諧謔や諫言を行うこともあったようである。
色々な伝説が残されており、曰く、道化師は馬鹿なことを言うのが仕事であるため、何を言っても罰せられることはなく、しばしば諫言や主人が怒りそうな報告を代わりに行ったと言われる*8。また、城内のどこに居ても警戒されないため、主人のための諜者の役割があったという話もあるが、信憑性は疑わしい。まあ、秀吉の御伽衆だったと言われる曽呂利(そろり)新左衛門のような役割を果たしたのかもしれない。
*8 百年戦争のスロイスの海戦でフランス海軍が全滅した際に、廷臣達はフランス王にその報告をすることを嫌がり道化師に言上させたという。
室内の遊びとしてはサイコロを使う物、トランプ、チェスなどが既に存在しているが、賭け事に使用される事が多かったため、教会や王によりしばしば禁止されたが隠れて行われたようである。チェスは模擬戦闘として騎士にも好まれた。
スポーツとしては、中世終期にはテニス*9が貴族に人気があり、フィリップ美王*10などはテニスのやりすぎで死んだとも言われる。その他、フットボール*11やホッケーのような競技も行われたようであるが、詳細は良く分からない。狩猟は貴族のスポーツとも言える。
*9 現在のスカッシュに近いようだが
*10 ハプスブルク家のスペイン王。狂女王ファナの夫で、神聖ローマ皇帝カール5世の父
*11 町対抗で相手の町までボールを運ぶものや長方形のフィールドで行うものなど色々あったようである。
ダンスは踊るのも見るのも人気があり、祭りの際には男女が踊ることが普通だった。自由に跳ね回るようなダンスと控えめで形式的なダンスの二種類に分けられ、前者は演芸的なバレエなどに繋がり、後者は社交ダンスに繋がっている。仮面舞踏会も盛んになり、顔を隠すため身分や立場を気にせずに楽しむことが出来た。