ポルトガル王家の愛憎史 - アヴィス朝の成立

ポルトガルのレコンキスタは13世紀には終わり、14世紀のデニス王からは雑多な民族を纏めて国内の統治に力を入れる段階だったが、むしろ王家内の愛憎が絡んだ対立とカスティラも含めた争いに終始した感がある。

カスティラ王アルフォンソ11世は、父フェルディナンド4世の死により1313年にわずか2歳で即位した。幼少時には実力者が摂政権を巡って争い、フェルディナンド3世の孫に当たる王族ペニャフィエル公フアン・マヌエルは1325年に娘コンスタンサ・マヌエルをアルフォンソ11世と結婚させて実権を握ろうとしたが、アルフォンソ11世は彼女を幽閉した後に離婚し、母コンスタンサの国ポルトガル*1を頼り、アフォンソ4世の長女マリアと1328年に結婚したが、1334年に長男のペドロ(残酷王)が生まれるとマリアを遠ざけ、愛妾のレオノール・デ・グスマンと暮らし多くの子供を設けた。

*1 二重結婚でフェルディナンド4世とアフォンソ4世は、それぞれの姉妹と結婚しているため、アルフォンソ11世にとっては二重の縁がある。

これを侮辱と感じたアフォンソ4世は嫡男のペドロ(ポルトガルの残酷王)*2とコンスタンサ・マヌエルを結婚させ、ペニャフィエル公フアン・マヌエルと同盟してカスティラと戦ったが、1340年に和解した。

*2 カスティラのペドロ残酷王とかぶるため、以降、狂愛王と名付ける。イネスへの狂愛で知られるためだが、ここだけの命名である。

ペドロ狂愛王は妻コンスタンサ・マヌエルの侍女として付いてきたイネス・デ・カストロを愛人とし溺愛した。1345年にコンスタンサ・マヌエルが死去した後は、イネス以外の女性とは結婚しないと宣言してアフォンソ4世を困らせ、イネスの親族などのガリシア貴族の権力が強まることを嫌った貴族たちにより、1355年にイネスは殺害された*3。

*3 イネス自身は野心のない女性だったようだが、その親族達がポルトガル宮廷で権力を持つことを恐れられた。

父王が背後に居たため我慢した狂愛王は、1357年に即位するとイネスの殺害者の3人の貴族を処刑して恨みをはらし、伝説ではイネスを墓から出して、王妃として即位させ、臣下たちに臣従の礼を取らせたという。このためイネスとの子供たちであるジョアンやデニスは王子とされたが、コンスタンサ・マヌエルとの間にはフェルナンド(1世)がおり、1367年の狂愛王の死去時には問題なくフェルナンド1世が即位した。

一方、カスティラでは1369年にレオノール・デ・グスマンの長子エンリケ(恩寵王)が異母弟ペドロ残酷王を殺害して王位に就いたため、フェルナンド1世は祖母ベアトリスの女系の継承権を主張してイングランドの支援*4を受けてカスティラと交戦したが、1371年に教皇の斡旋により和解し、エンリケ恩寵王の娘レオノールと結婚が決まったにも関わらず、廷臣の妻だったレオノール・テレス*5と熱愛し、離婚させて王妃とした*5。

*4 エンリケ恩寵王はフランスの支援で即位しており、対抗上、イングランドはポルトガルを支援した。
*5 当然、ポルトガルでは凄く不評であり、カスティラも不快の念を持った。

カスティラとの対立は続き、ペドロ残酷王の娘コンスタンス*6と結婚していたジョン・オブ・ゴーントと結んで戦ったが1373年に和睦した。しかし恩寵王が1379年に死去すると今後はジョン・オブ・ゴーントが妻の権利でカスティラ王位を請求した。フェルナンド1世は当初はこれと同盟したが、1382年に1人娘のベアトリスをカスティラの新王ファン1世と結婚させて和睦した。これは既に死期が迫っていたフェルナンド1世の後継を前提としていた。

*6 これも愛妾マリア・デ・パディーリャとの子であり、嫡庶は不明確である。

中世においては同君連合は珍しくなく、通常は抵抗もさほど強くはないが、ポルトガルはカスティラから分離・独立した経緯があり、再びカスティラの支配下に入ることを恐れる感情が強かった。また王妃レオノール・テレスは人気がなく*7、娘のベアトリスが女王となることで彼女と愛人アンデイロ伯の影響力が強まることへの警戒もあった。

*7 ポルトガルでは悪評高く、不倫などの真偽不明な良くない逸話が伝えられている。結婚の経緯や出自の低さに加えて、アヴィス朝から見ればカスティラと組んだ裏切り者だからである。

このため1383年にフェルナンド1世が死去するとポルトガルでは、異母弟でイネス・デ・カストロの長男であるヴァレンシア・デ・カンポス公ジョアンと異母庶弟*8であるアヴィス騎士団総長ジョアン(1世)が期待されたが、前者はカスティラに亡命して、そこで拘束されていたため、後者のジョアンが支持を集め、1383〜85年までのカスティラとの戦争の結果、1385年にポルトガル王に即位しアヴィス朝を開いた。

*8 狂愛王が即位後に関係を持った女性から1358年に生まれた。テレサという名前でガリシアの貴族の娘らしいが、詳細は不明。

その後もカスティラの脅威は続いたため1386年にイングランドと同盟を結び、翌年にジョン・オブ・ゴーントの娘フィリッパと結婚した。フィリッパは賢妻として慕われ、二人の間には多くの子供が生まれ、ポルトガルの繁栄に繋がった*9。

両者の同盟は永久同盟とも呼ばれ、その後も継続し、現在も英国とポルトガルは同盟関係にあるそうだ。

*9 王子の1人がエンリケ航海王子で、ポルトガルの大航海時代の先駆となった。

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