魔女と異端

魔女と異端(1) - 異端審問

魔女異端は重なり合う部分があり、その裁判・審問にも共通点があるため、しばしば混同して理解されており、少し整理してみようと思う。

カトリック*1において異端者とは、キリスト教徒を名乗りながら、正統な教えから外れる信条*2を持つ人のことで、魔術師(ウィッチ)とは唯一神以外から超自然的な力を得る術*3を会得した人間だが、後には主に悪魔と契約してその力を手に入れ協力する女性とされ、日本語では魔女と訳されている。

*1 そもそも普遍と言う意味で、信仰は一つに統一されるべきとの考えから来ている。
*2 但し、東方正教に対しては分裂主義(シスマ)と呼んでおり、撲滅すべきものでなく再統合されるべきものと見なしていた。
*3 普通の人には出来ない術であれば、必ずしも超自然的とは限らず、失われたギリシア・ローマの技術が魔術扱いされることもあった。

西欧において魔女*4はキリスト教以前から存在した。多神教では、神や魔物や精霊の力を借りて超自然的な作用を起こすのが魔術で、良い魔術(白魔術)*5も悪い魔術(黒魔術)もあり、この時代には黒魔術は厳しく罰せられていた。呪い等がその代表で、権力者はもちろん、一般民衆にとっても、不思議な方法で自分達を殺すことのできる術を野放しにはできず、黒魔術を使ったと見なされれば容赦なく拷問や神判*6に掛けられ、有罪ならば処刑された。

*4 魔術師・呪術師
*5 良い魔術師は賢人(マギ)と言った名称で尊敬を受けていた。
*6 後の魔女の判定法の多くは、多神教時代から使われていた手法である。

面白いことに、キリスト教は当初、魔術を多神教徒の迷信として否定していた。つまり、この世は神の摂理に従っており、人間ごときが、それを変えられるはずがないという理屈なのだが、魔術の儀式の為に赤子を殺したり、人を傷つけたり、実際に毒薬を作ったりすること、あるい魔術や呪いを使えると吹聴して人々を惑わすことについては取り締まって罰していた。つまり、この時代に取り締まられた魔女は物理的に人々に害を与えていると疑われた人々なのである。また、そういう態度や考え、儀式が異端的と見なされたが、悔い改めれば罰は軽微なものだった。

やがて黒魔術師は悪魔と契約して超自然的な力を持つと考えられるようになったが、一神教においては、悪魔は強い力は持たない*7と考えられており、人々を惑わせ、神の教えから離れさせ、悪の道に誘い込む程度で、正しい信仰を持っていれば怖れるに足らなかった。当然、悪魔の力を借りた黒魔術も大した力があるとは考えられていなかった。

*7 全知全能の神の下で、人間の信仰を試す役割とされていた。

むしろ怖れられたのは異端であり、これは悪魔が「神の意に反する誤った教え」を「神の教え」のように見せかけて人々を騙すと考えられており*8、人々に罪悪感を持たせず広まるため、正しい教えにとって非常な脅威と考えられた。とは言え、多神教徒をキリスト教化している段階では、まずキリスト教徒にすることが重要であり、小異に拘るより大同につく考えで、各地の教会では現地の異教由来の風習が残って地域色が強く、細かな違いには寛容だった。

*8 むろん、実際には主流派となった教義が正しい教えとされ、排除された教義が異端と呼ばれるだけなのだが。

それが、カトリックでは11世紀からのグレゴリー改革で教えの統一が重視され、教皇庁で決めた教えが全てのカトリック教会で同じように伝えられるべきとされ、そこから外れるものを異端として忌み嫌うようになった。

11世紀末からの十字軍による東西の交流は新たな思想も流入させ、ローマ教皇庁の教義とは異なる宗派(カタリ派、ワルド派など)が各地で広まるようになった。当初は正しい教えの説教・説得により解決を計ったローマ教皇庁だったが、異端の広がりを抑えられず、ついに13世紀初頭にアルビジョワ十字軍*9を呼びかけ、南仏のカタリ派を武力で壊滅させると共にヨーロッパにおいて激しい異端審問が実施されるようになる。

*9 同じキリスト教徒に対する初の大規模十字軍である。第4回十字軍は、あくまで行き掛けの駄賃としてキリスト教国を襲っただけで、十字軍としての戦闘ではなかった。

異端審問の尖兵となったのが、托鉢修道会のドミニコ会、フランシスコ会で、フランシスコ会はその極端な清貧の勧めで、当初は自らが異端認定されそうだったのだが、認められて後は異端審問に励むようになった。異端審問官で悪名高いのは13世紀前半のドイツのコンラート・フォン・マールブルクで強引な異端審問と認定で怖れられ憎まれ、最後は暗殺されている。

とは言え、それまで、各々の地域で恣意的に行われていた異端審問を教皇の下で管理することは、むしろ一定の規則と秩序を与える意味があった。しかし、一方で自分と考えの違う者を異端として弾圧する風潮も広まり、教皇ですらその対象となった。対立教皇が立てばお互いに異端と非難しあい、14世紀初頭のアナーニ事件では、フランス王フィリップ4世が教皇ボニファティウス8世を異端として裁判にかけようとし、テンプル騎士団は異端として一斉に逮捕され処刑された*10。

*10 このような告発の場合、黒魔術やソドミーとセットで糾弾されたが、魔術の実際の効果が怖れられたと言うより、その儀式や行為が異端の証拠とされた。

魔女と異端(2) - 魔女狩り

悪魔が怖れられるようになったのは、14世紀の危機と言われる社会不安によるもので、寒冷化、天候不良による飢饉が起こり、アヴィニョン教皇庁十字軍の失敗などが教会への信頼感を薄れさせたが、決定的になったのは、14世紀半ばに大流行した黒死病*11である。これまで病というものは、正しい行いをせず神の怒りを買った者が罹ると考えられていたのだが*12、黒死病は明らかに信心深い人や聖職者もお構いなく死に追いやったため、一部の人々はこれを悪魔の仕業と考え、その力に恐れおののき、黙示録にあるように、悪魔とその信奉者たちがキリスト教徒に戦いを仕掛けていると考えるようになった。

*11 総人口の3割以上が死亡したとされ、5割〜7割が死亡と書かれることもある。地域によっては人間がいなくなった村も多数あり、多少、誇大に記録されたと思われるが、前代未聞の大災害と認識された。
*12 大抵の人は罪があると言われれば、一つや二つ心当たりがあるものである。

その後の教会大分裂によるローマ教会の威信の低下もあり、悪魔と契約した魔女*13、使い魔*14、悪魔の力を呼び出す黒魔術も恐怖の対象となり、15世紀に入ると、異なった信仰を持つ者だけでなく、魔女や黒魔術を使う者も積極的に異端審問*15で裁かれることになった*16。15世紀末に書かれた「魔女に対する鉄槌」は、活字出版の普及に伴い広く読まれ、魔女と黒魔術に対する新たなスタンダードを与え*17、以降、魔女は異端とは違う悪魔崇拝者として激しい迫害を受けるようになり、広範囲の「魔女狩り」を引き起こすることになる。

*13 悪魔との契約は性的なものであり、ウィッチは主に女性と考えられるようになった。但し、ソドミーも悪魔の業であり、女性の悪魔が存在するという発想もあり、必ずしも女性に限らなかった。
*14 猫、イタチ、フクロウ、蛇などの肉食の小動物の姿と考えられ、これらを退治したためネズミが増加し、一層、ペストが発生し易くなったとも言われる。
*15 彼等もキリスト教徒と称しているため、異教徒ではなく異端と見なさる。
*16 ジャンヌ・ダルクジル・ド・レも異端審問で処刑されており、その容疑には黒魔術も含まれている。
*17 現在に伝わる魔女のイメージは概ね、この本が元になっているが、ローマ教会は必ずしも賛同しておらず、むしろ世俗に広まり魔女狩りに使われた。

15世紀の終わりにイベリア半島で異端審問*18が激しくなったのは、レコンキスタが完了し、それまで認めていたユダヤ教徒やイスラム教徒を追放する方針に替え、キリスト教に改宗したマラーノやモリスコが隠れ信仰していないかを徹底するためだが、同時に王権が異端審問を主導することにより、不満分子を異端として一方的に弾圧したり、財産を没収することが可能となった。

*18 スペイン、ポルトガルの異端審問。王権が異端審問を主導する点に特徴がある。

16世紀から魔女狩り・魔女裁判が盛んになるのは、宗教改革によりプロテスタントが公然とした存在になると異端審問は限定的になるのに対して*19、魔女はプロテスタントやカトリックを問わず摘発されるべきものだったためである。特にプロテスタント地域で無秩序な大衆による魔女狩りが盛んだったのは、カトリックのような統一的な審問制度が無かったため、各地で思い思いに行われたことによるだろう。

*19 宗教戦争の妥協によりプロテスタントの存在を認めれば、それよりカトリックに近い異端を迫害することは消極的にならざるを得ない。

また、16世紀中頃からローマの異端審問が始まったのは、プロテスタント圏はもちろん、カトリック圏においても影響力を失いつつある教皇権が、イタリアだけは、その影響力を行使しようとする意思の現れだろう。後に教理省となって著作物などの思想の審議が中心となり、禁書目録の作成に励むことになる。

ところで、以前の中世に対する認識やそれを題材とした創作物で激しい異端審問による迫害が描かれた反動で、近年では、中世の異端審問はそれほど厳しいものではなく、火刑になった人数は意外に少ないと言った主張が為されることがあるが、むしろ処刑されなかった人々が問題なのだ。

信念を持った異端の人は最初から告白するか、拷問の末に告白しても異端(信仰)の撤回はしないのである*20。彼等にとっては異端とされる自分達の教えが正しく、そのために刑死することは殉教であり、例え火刑となっても魂は救われ祝福されると考えるのである。

*20 日本のキリシタン迫害は厳しかったと言われるが、実は1枚の板(踏み絵)を踏むだけで助かるのである。しかし、それをせずに多くの信者が殉教している。

問題なのは、異端でない人間が、単に人付き合いの悪い変人、立場の弱い人と言うだけで告発された場合で、カトリックでは「告白して悔い改めれば赦される」という原則があり、一方、正直に告白しなければ、異端の場合、拷問をして自白させることが許されている。従って、拷問から逃れるために異端を告白し、撤回して悔い改め、その証拠として他の異端者の名を挙げるのである。しかし、当然、誰が異端者かなど知らないため、他の変人や弱い立場の人間、あるいは自分の敵対者の名を挙げることになり、名を挙げられた者は同様に告白して他人の名を挙げ、告発される人間は延々と増えていくことになる。

そして、これが異端審問官にとって美味しいのである。実は本当の異端者が異端を撤回せずに火刑になるのは、異端審問官にとっては失敗であり、それに対して、後者の場合は、次々と異端容疑者が異端を告白し、それを撤回して悔い改めるため、それらは全て異端審問官の手柄になるのである。さらに、告白者は罪は赦されるが、罰として財産の一部または全部が没収され、没収された財産の一部は教会や修道会、そして場合によっては異端審問官の懐に入るのである。初期の異端審問官は宗教的な熱狂者(Zealot)であるため純粋に異端を減らすことが目的だったかもしれないが、後の時代になる程、宗教的情熱は薄れ、欲得が絡むようになる。

それでも中世の異端審問の方が、約40%が処刑された初期のスペイン異端審問や有罪になればほぼ処刑された魔女裁判よりはマシだったとは言える。

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