中世の国と家

星新一のショートショートに「マイ国家」というのがあって、ある家の主人が日本から独立してマイ国(真井国)を作ったと主張して訪問したセールスマンを困惑させる話なのだが、中世では実際に1つの家*1が国家*2とほぼ同等だった。

*1 家屋だけでなく人やその他の財産も含めた、家制度における家。戸、英語で言えばファミリー。
*2 日本にも同様の概念があり、そもそも国家というのは国という家なのだ。

人は大きく分けて自由身分*3と非自由身分があり、権利を持つのは前者であり、後者は前者に従属する人々だった。

*3 11世紀頃においては前者はほぼ貴族と同義だが時代が後になる程、都市市民が自由身分となり、15世紀にもなると農奴も名目上は解放されて自由身分となるが、貴族への従属性が残されたため名目のみだった。ここでの自由民は概ね、貴族と上級都市市民を指しており、マグナ・カルタ等で対象にするのは、この人々である。

自由という概念は元々、日本や中国にはなかったため若干、理解しにくい*4。欧州においては重要な概念であるが、ローマの自由とゲルマンの自由は少し違う*5。前者は束縛されていない状態を表し権利には義務が付いてくるが、後者は権利だけあって義務がない自由である*6。そして中世カトリック世界は概ねゲルマン系王国を基礎としている。

*4 自由という言葉は明治時代にFreeやLibertyの訳語として使われ始めた。
*5 2つの言語が混ざる英語では、前者から来るものはLibertyであり、後者はFreeである。freeには無料という意味があるが、これは料金を払う義務がないということである。
*6 個人の自由が衝突する場合は、決闘裁判で決着することになる。

それでは社会は成り立たないように思えるが、半猟半農の小規模な部族・氏族においては、最低限の決まり事だけで済むものである。定住し大規模な集団を作れば社会は必要になるが、封建契約のように、それらは解除可能な自由意志による契約であるため、強制される義務ではないと見なされた*7。

*7 例えば、現在でも主権国家は義務を持たないのである。国際法と呼ばれる物の多くは国際条約(つまり契約)を批准したものであり、国連を共同体と考えても、主権国家は納税義務(国連分担金はあるが、米国ですら全額支払っていない)も兵役義務も持たない。

自由民の1つの家は家長とその家族、独立していない一族*8、そして従属する農奴や召使などの非自由民*9、そして所有する土地・財産から構成されている。

*8,9 日本風に言えば家の子と郎党に近い。

家長は家内の事柄の全てに権限と責任があり、家人が罪を犯せば処罰し、家人が他家の家人と争いを起こせば、相手の家長と交渉することになる。

つまり家内においては家長は王であり、家は国民、国土、政権*10を持ったマイ国家なのである。

*10 国家に必要な3要素である。

封建制においては、これが入れ子構造になる。すなわち、地域の領主はより大規模な自分の家を持つと共に、その下に封建臣下である自由民の家があり、それらを合せて1つの家と見なすのである。同様にその上に伯や公が居て、王がいて、それぞれ1つの国/家を構成している。

しかし封建関係は時代にもよるが、契約であり比較的、緩いものだった。領主は直接の従属民に対しては強力な権限を発揮するが、配下の自由民=封建臣下に対しては、彼等の揉め事が直接、影響してきたり、裁判として調停を依頼されない限り、干渉しないことが多かった。

従って、自由民は基本的に自力救済であり、集団安全保障を考慮しなければならなくなる。この集団安全保障グループの最も基本的なものは血縁であり、地域によっては氏族として1つの大きな家を作ることがあるが、それぞれの地域的慣習により何親等までを親族とするか決まっていることが多い。

次いで地縁であり、都市市民などは都市の自治組織としてコミューンを作っており、農村部の自由民が共和制の自治組織を作ることもある*11。実のところ、封建制も同様の概念を持っており、ある地域の共同防衛組織の長として伯がその役目を勤めているとも言える。選挙王制は、まさにその概念を維持しているものである。

*11 本来の意味の一揆に近い。

さらに職能グループとして職人のギルドや商人のコーポレーションがあり、これらも強力な互助防衛機能を発揮した。

これらの集団は集団外との争いは集団で対応し、集団内での争いは集団内部の規則で解決することになる。欧米の陪審員制度は、民主的な制度というよりは、集団内で対応していた名残り*12なのである。

*12 自分の仲間によって裁かれるということ。

こういう知識に基づくと中世人の行動が理解し易くなるだろう。彼等が傭兵として誰にでも雇われたり、遠方の君主に仕えて将軍や宰相になったり、百年戦争でブルターニュ公やブルゴーニュ公がイングランド王に味方したり、それにも係わらずブルターニュ人がフランス王の王軍司令官になったりするのは、全く不思議ではないのだ。

近代の国民国家で生まれた愛国心を近世以前、特に中世に当てはめると全くおかしなことになる。中世においてもパトリオティズム(愛国心、郷土愛)が無い訳ではないのだが、こういう世界においてパトリオティズムとは何が対象になるのだろうか?

従属民にとっては自分の属する家であり、自由民にとっては自分の属するギルドや地域などの集団安全保障グループである。王国という家にパトリオティズムを持つのは王家の従属民と役人だけであり、直属の領主(バロン)達は地域共同防衛組織としての王国にパトリオティズムを持つ場合があるが、その対象は議会の形となり、必ずしも王ではない。

つまり家という最小単位の国を封建制の縦糸とカトリックの横糸で紡ぎ、安全保障集団のパッチで補強したものが、中世カトリック社会と言える。

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