イングランドの爵位・称号

神聖ローマ帝国の爵位・称号が意外と好評だったため、イングランドについても書いてみることにした。

イングランド以外の他の英国地域にも独自の称号はあったのだが、グレートブリテンとして統合されるとイングランドに準じた方式が導入され、幾つかの地域独自のマイナーな称号は残っているが、概ねイングランドと同様のシステムに成ったと言って良い。

イングランドの貴族制はフランク王国をベースにした国と比べると比較的、単純だ。

アングロ・サクソン時代は、旧七王国の大領域を支配下に持つ大諸侯(Earl)*1、領主階級に当たるセイン(Thegn)*2、そして大陸と比べると比較的多い自由農民が存在して軍事を担当していた。

*1 この時代のEarlは大陸の公に近い。
*2 王直属は大陸の諸侯、下級の者は騎士に相当するが、馬は使わず騎士とは呼びにくい。

ノルマン・コンクエストとそれに続く何度かの反乱の鎮圧により、これらの大諸侯は消滅し、ウィリアム征服王は奪った土地をその時々に功績のあった部下の騎士達に与えていった為、他の欧州の貴族領とは異なり*3、イングランドの貴族の領地は分散して存在した。

*3 フランク王国の下にあった国では伯(Count)が郡(County)を支配するのが基本である。

王から直接、封土を与えられた直接授封者(Tenant in Chief)は、その一部をセインだったアングロ・サクソンやデーン人の戦士層、そして他のノルマン人に貸与して封建関係を築いていった。

直接授封者はバロン(Baron)と呼ばれ、王会(後の議会)に召集され、諸侯とされた。

間接授封者は騎士となりジェントリー層を構成した。後に都市と共に代表者を議会に出したが平民院に所属し、貴族(Noble、Peer)ではなく平民(Commoner)とされた*4。

*4 概ね、下級貴族と見なされているのだが、法的には平民だった。

有力な諸侯にはアングロ・サクソン時代の大諸侯の称号であるEarlが与えられた。当初は州(Shire)に関連付けられ大陸の伯(Count)に等しいとされたが、形式的なもので州を統治する訳ではなかった*5。なお、女性形はCountessである*6。

*5 通常、多くの領地を有する州が選ばれたが、その州に領地を持っていないこともあった。
*6 何故、素直にCountにしなかったかについては、以前の称号を使用することでアングロ・サクソン人を宥める意図と、フランス語で女性器を意味するカントと発音が被るため避けたと言われている。なおフランスではComte。

実際の州の統治は、王の役人である州長官(Shire reeve= Sheriff)*7が担当した。

*7 荘園の管理人や代官をreeveと言い、州の代官である。

14世紀になり、百年戦争が始まるとエドワード3世はフランスと対抗し、かつ王族の権威を高める為、伯(Earl)より上の称号として公(Duke)を王族に与えるようになり、後には特に功績の有った伯にも与えられ王族格と見なされた。

15世紀には、上級の伯として大陸の辺境伯に当たる侯爵(Marquis)、下級の伯として州長官相当(Sherif)の子爵(Viscount)が作られ、それらの称号を持たない諸侯は単にバロンと呼ばれ男爵となり、五爵制となった。

中世においては爵位は領地に直結しており、複数の領地を持つ者は複数の爵位を持っていたが、通常、最高位の爵位で呼ばれた*8。

*8 正式な名乗りでは全ての爵位・称号を列挙する。

相続、授与、征服*9などにより諸侯の封建領地を得た者は、議会への召喚状(Writ)により貴族と見なされることになる。

領地の相続はその家や地域の慣習に従って為される為、領地が女系相続されれば爵位・称号も継承されたが、新たに与えられる形式を取った為*10、爵位は男系継承のみと見ることもできる。

*9 いずれも形式的には王の許可が必要で、王が干渉したり代償を求めることがある。
*10 それだけ王の権限が強いと言うことである。代数は一旦クリアされ、初代~伯のようになる。

近世では、領地と関わり無く*11、勲功に対する栄誉として爵位のみが特許(Patent)で与えられるようになった*12。

*11 形式的に地名が使われることが多く、領地や居住地の名が使われることもあるが、連動はしておらず、居住地が変わっても爵位名は変わらない。
*12 召喚状による封建貴族は薔薇戦争により減少し現在では少数しか残っておらず、大部分は特許により作られた貴族である。

同じ名前で男爵→子爵→伯爵のように昇格することもあったが、同じ名前であれ、違う名前であれ、別の爵位として与えられる為、上級の爵位を持つ者は複数の爵位を持つことが多い*13。

*13 例えば、ウェリントン公爵はウェリントン侯爵、ウェリントン伯爵、ウェリントン子爵、ドゥロ侯爵 ドゥロ男爵などを保有している。

その後、準男爵(Baronet)が作られたが、貴族院には呼ばれない為、貴族とは見なされず、敬称もサーであり世襲制騎士に近い*14。

*14 騎士の称号は世襲ではないため、大陸のような世襲騎士が望まれたのだが、むしろ名誉を望む新興階級と資金源を求める王家の利害が一致した結果だろう。

封建時代では、複数の領地を持っている貴族は、子供達に分け与えることで、子供達はそれぞれ貴族になることが可能だったが、特許では男系限定長系継承が指定された為、全ての称号は一子相続となり、複数の爵位を持つ貴族でも跡継ぎが全てを相続し、男系が断絶すると爵位は消失する。なお召喚状による封建貴族は男系優先長系継承*15で女系の継承が可能である。

*15 改正前の英王室の継承法と類似している。

爵位を持つ貴族の当主以外は法的には貴族ではないのだが*16、跡継ぎは儀礼称号としてその家の爵位の一つを名乗ることが出来*17、儀礼的に貴族と見なされる。

*16 一般的には貴族の子供達は貴族階級と見なされるが、法的には平民である。
*17 複数の爵位を持つ家ならその一つを、無ければ単にロード(Lord)と呼ばれる。

それぞれの爵位は創設された時代、場所により、イングランド、スコットランド、アイルランド貴族が存在し、さらに統合以降に作られた貴族としてグレートブリテン、連合王国(UK)貴族が存在する。

従って、一人の貴族がイングランドの伯爵で、スコットランドの子爵、グレートブリテンの侯爵と言った例は普通に見られる。

近代では、栄誉システムの上位として一代貴族が作られる一方*18、世襲貴族は1999年から代表者以外、貴族院の議席を失っており、法的特権はほどんど失われている*19。

*18 ナイト(騎士)爵も一代であり、栄誉システムの一部である。
*19 階級社会の英国では、慣習的特権は今でもそれなりにあると言われるが。

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