ヨーロッパの民族

ヨーロッパには多くの民族が存在する。単一民族国家を標榜している日本にいるとピンとこないが、コーカサス諸国など大陸では多くの民族が混在しており、民族国家でも少数民族を抱えている国は多い。

まず民族とは何かから始めないといけないかもしれない。共通の文化(風習、慣習、風俗)、言語、宗教などを持つ集団/グループということになるが、どこまでが同じで、どこからが違うのか明確な線引はできない。

他の集団から見てほとんど同じでも、当事者グループ同士が違っていると認識していれば別グループであり、かなり異なっていても当事者が同グループと認識していれば同一民族だとも言える。

これは血統的な種族(race)*1とは違うことに注意しなければならない。通常は同系統の種族は同系統の文化を持つが、別の民族の文化に同化すれば、その民族の系統に入ったと見なされることになる。

*1 人種と訳すと少し誤解が生じるだろう。血族グループが近いだろうか。

民族は通常、言語系統で分けられる。概ね、人々は移動しても言語は維持することが多く、移住先の言語を受け入れた場合は、文化も受け入れるのが普通*2であり、現地民族に同化したと見なされる。

*2 近代では、中央集権的公用語が存在するため、移住民は利便のために現地の言語(公用語)を受け入れながら、民族固有の文化を維持することが増えている。

また宗教は近世以前は文化と強く結びついているため、改宗することにより別民族になることもある。例えば、ユダヤ教徒になればユダヤ人であり、南スラブ人でイスラム教に改宗した人々はモスレム人と呼ばれている。

さてヨーロッパでは、民族は言語系統により大きくゲルマン系、ラテン系、スラブ系、ケルト系、その他に分けられる。

これを民族移動/同化の歴史で見てみよう。紀元前から多くの民族が存在していたが、ローマ帝国の拡大によって、その領域の民族は概ねローマ化/ラテン化されている。但し、ギリシアは独自の高い文化を持っていたためギリシア語とギリシア文化を維持した。

その北方では紀元前3世紀頃までケルト系が大きく広がっていたが、やがてスカンジナビアからゲルマン系民族がケルト系を駆逐してドイツ、オランダ、欧州東部にまで広がり、一方、ガリア(フランス)、イングランドはローマ化し、ケルトはアイルランド、スコットランド、ウェールズ、ブルターニュに残るのみとなった*3。

*3 ブルターニュのケルト人はコーンウォールなどのケルト人がアグロン・サクソン人の圧迫により移住したものである。

4世紀頃から欧州東部のゲルマン系は中央アジアの遊牧民族(フン、アラン等)に押されて、西方に移動し始め*4、ローマ帝国に侵入して特に西ローマ帝国の領域に多くの王国を建てるが、征服者のゲルマン人は少数であり、文化的にもラテンの方が高度であり、現地の民族はローマ/ラテン人のままでゲルマン人の方がラテン化することが多かった。但し、イングランドではラテン化して間もなく十分に定着していなかったためか、ゲルマン(アグロン・サクソン)化している。

*4 所謂、ゲルマン民族の大移動。

やがて7世紀にイスラム教徒のアラブ人が大征服を開始するとアフリカ、中近東、イベリア半島はイスラム化することになるが、イベリア半島は15世紀までのレコンキスタによってロマンス語圏に戻ることになる。

一方、欧州東部のゲルマン系が移動した後、6世紀頃にスラブ系が移動して来て、現在のロシア、ポーランドからバルカン半島にまで広がったが、ギリシアに入ったスラブ人はギリシア化したようである。9世紀にマジャール人が侵入してハンガリー一帯がマジャール化し、15世紀にオスマン帝国によりアナトリアからバルカンの一部がトルコ化するが、オスマン帝国の崩壊と共にトルコ人は現在のトルコに押し戻されている。

また、かってユダヤ人はヨーロッパ全土に存在したが、迫害を受けポーランド、リトアニア、ウクライナ、ロシアに多く移住している。しかし、第二次世界大戦時のナチスの迫害により減少し、多くがイスラエルと米国に移住して現在はさほど多くない。

これが、ざっとした民族の分布図で、ラテン系のロマンス語を話す人々がイタリア、スペイン、フランスとルーマニアに広がっており、ゲルマン系がイングランド、オランダ、ドイツ、北欧に、スラブ系がロシア、ポーランド、チェコ、旧ユーゴスラビアに広がっており、ケルト系がアイルランド、スコットランド、ブルターニュに残存する。

その他としては、中央アジア系のマジャール人がハンガリーに、同じくウラル語族のフィン人がフィンランドとエストニアにおり、バルト語族のバルト人がリトアニア、ラトビアに、系列不明のバスク人がスペインとフランスのバスク地方に、ギリシア人がギリシアに、チュルク系のトルコ人がトルコに存在する。

かっては、「フィン人とマジャール人は共に中央アジアからやってきたが、フィン人は間抜けだったため、間違えて非常に寒い所に辿り着いてしまった」という伝説があったが、むしろ欧州北部はかってはウラル語族の地域だったが、住み易い場所はケルトなどの後続民族に取って代わられ、極寒の地にのみ残ったということらしい。従って極北の地でトナカイを飼う遊牧民であるラップ人に近いらしい。マジャール人の移動は9世紀で明確である。

ブルガリアを最初に作ったブルガル人はチュルク系の遊牧民だったがスラブ人に同化し、現在は遊牧文化の名残りはあるがスラブ系民族となっている。

クロアチア人とセルビア人は同じ言語を使うが、歴史的に前者がハンガリーの一部としてカトリックだったのに対して後者はビザンティン帝国領として東方正教(セルビア正教)であり、風俗や文字(ローマ文字とキリル文字)が異なる。

チェコとスロバキアは言語も宗教も同様だが、歴史的に前者がボヘミア王国で後者はハンガリー王国で分かれていたため、相互に別民族という意識が存在し、一旦は1つの国になったものの両者の違和感は強く円満に分離している。

ポルトガルはカスティラから分離しており、両者に大差はないが、ポルトガルはカスティラに対する対抗意識・独立意識が強く、一時期、同君連合になったものの再び独立している。一方、バルセロナのあるカタルーニャは歴史的に南仏と似た民族で、カスティラとはかなり異なっておりスペインとなった後も独立意識が強い。

ピレネー山脈の両側に居住するバスク人は系統不明の謎の民族とされており、おそらく古くから当地に居た民族がローマ化されずに残ったものと思われる。

スラブ地域に孤立しているルーマニアが何故、ロマンス語地域として残ったのかは謎であるが、おそらく民族性に寛容な遊牧民(ブルガルなど)の支配を受けることが多く、スラブ人があまり侵入せず、後にバルカンの他の地域がスラブ化されるとそれらの地域のローマ人も同胞を求めてルーマニアに移住したためと思われる。

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