王の名前

閑話。各国の王の名前について、徒然と。

中世には長男に祖父の名前、次男に父の名前を付ける慣習があった。そのため、順調に行けば、2つの名前が交互に出てくるはずだが、幼児死亡率が非常に高い時代であるため、中々そうはならない。

イングランドのノルマン王朝では始祖のウィリアム征服王の名前は重要だったはずだが、意外にイングランド王にウィリアムは少ない。ウィリアム1、2世と続いた後、ヘンリー1世やヘンリー2世の長男もウィリアムだったのだが、いずれも夭折しており、だんだん使われなくなったようだ。ウィリアム3世は全く系統の違うナッソー家の名前であり、ウィリアム4世もハノーバー家の名前であるが、まあ、元々ゲルマン系の名前である。現在のウィリアム王子が王位に就けばウィリアム5世になるのかもしれない。

ノルマン家ではロベールも伝統的な名前なのだが、征服王が長男のロベールにイングランドを継承させなかったためイングランド王にロバートは1人もいない。

ヘンリーはヘンリー2世が父方の祖父ではなく、母方の祖父であるヘンリー1世にちなんで名付けられて以来、プランタジネット家では人気のある名前で、チューダー朝のヘンリー8世まで続いている。スチュアート朝以降は名前の系統が変わっているため、そこで止まっており、現在のハリー王子も王になる可能性は低いだろう。

リチャードもノルマン家ではポピュラーな名前なのだが、リチャード2世、リチャード3世と廃位・簒奪された王が続いたため、チューダー朝以降あまり使われなくなったようだ。

ジョンは元々、ノルマン家にもプランタジネット家にもなかった名前で、使徒のヨハネから来ており、ジョン王以降のプランタジネット家では結構使われたが、これもチューダー朝以降あまり使われなくなったようだ。

エドワードはアングロ・サクソン王朝の伝統的な名前で、特にエドワード懺悔王にちなんでエドワード1世が名付けられて以来、王朝を越えて人気があり、王冠を懸けた恋のエドワード8世まで続いている。

チューダー朝ではイングランドにおける印象を考慮してウェールズ系の名前は採用しなかったが、ケルト系の英雄の名前にちなみ、ヘンリー7世の長男はアーサーと名付けられている(王位に就く前に亡くなっている)。

チャールズとジェームスはスコットランドのスチュアート家の名前で、革命で処刑されたり追放された名前でもあるため、ハノーバー朝では使われなくなっており、現在のチャールズ皇太子が王位に就いた時にチャールズ3世になるのかは不明*1である。

*1 近代の王族は多くの名前を持っており、その内のどれを即位名にするかは任意のようである。

ジョージはハノーバー朝の名前でジョージ王朝と言われるほどジョージが続いている。

エリザベスはヨーク朝のエドワード4世妃エリザベス・ウッドヴィルからチューダー朝に入ってきた名前だが、同時にエリザベス1世の母アン・ブーリンの母方であるハワード家の名前でもある。メアリーもヨーク朝にウッドヴィルから入ってきたようである。ヴィクトリアは母方のドイツ系の名前だそうだ。

フランスでは、カロリング朝のシャルル・マーニュ(カール大帝)が人気でシャルルは10世まで続いている。またルイも多いが、これは5世まではカロリング朝で、カペー・ヴァロワで6-10世の後、ブルボン朝は別名ルイ王朝と呼ばれるほどで16あるいは18世まで続いている。

フィリップはギリシア系の名前で、ビザンティン帝国からの王妃が付けた異国色の強い名前だが、フィリップ2世が尊厳王と呼ばれるようにカペー朝中興の祖として人気が出て6世まで続いている。

ジャンは英語のジョンと同等だが、ジャン2世は百年戦争中のポワチエの戦いで大敗した王で、2世で止まっている。ジョンの場合と同じくヴァロワ朝では付けられているのだが夭折が多く、人気がなかったこともあって、ヴァロワ=アングレーム朝以降は付けられなかったようだ。

カペー朝の始祖ユーグは意外に息子の2世で止まっており、なぜか早い時期に使われなくなっている。

神聖ローマ帝国では王朝に連続性がなく、王朝毎に特徴がある。

ザクセン朝は別名オットー王朝であり、ザリエリ朝はハインリッヒ、ホーエンシュタウフェン朝はフリードリヒだが、ハプスブルク朝では名前に一貫性がなく、その時期に流行りの様々な名前が使われているようだ。

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