狩猟・採集時代には人類は誰もが狩猟をしたわけだが、農耕・定住を行うようになると狩猟は一部の人々の職業になると共に貴族階級のスポーツ*1、レジャーとなった。
*1 英語のゲーム(game)は本来、狩猟の意味である。
特に中世ヨーロッパでは、狩猟は王侯、そして彼らから許可された貴族の特権*2であった。家畜を食べ慣れた彼らにとって、狩猟により得られる野生の鳥獣は貴重であり、珍重されたが、それ以上に、戦士階級である彼らにとって、獲物を追うことは、楽しみ、軍事演習、武勇の誇示といった意味があった。
*2 農民たちは森に入って狩猟対象となる鳥獣を獲ることは禁じられていた。ただし、畑を荒らす鳥獣駆除は認めらており、それを言い訳に森での密猟も実際は行われていたようである。
狩猟は大きく次の3つに分けられる。
1. 巻き狩り - 多数の勢子と猟犬を連れての熊、鹿、猪、兎、狼などの狩り
2. 鷹狩り - 鷹、隼などの猛禽類を使った鳥獣の狩り
3. 野鳥狩り - 食用及び愛玩用に道具や罠を使った野鳥の捕獲
巻き狩りは、多くの人間を指揮し、猟犬を放って動物を追い詰めていくもので、実戦に似た演習と見做すこともできる。馬に乗り疾走するのは快楽であり、大型の獣に矢を放ち、槍で仕留めるのは己の軍事的技量を示すことになる。
鹿や猪は食べるために獲られた(特に鹿肉は好まれた)が熊や狼は武勇を示すため、または人を襲う害獣駆除のために狩られた。弓矢や刀槍程度では、ヨーロッパのヒグマを倒すのは難しく、シャルルマーニュが熊狩りを行った際には、手負いの熊に勢子たちが何人も死傷し、シャルルマーニュが手ずから仕留めたという逸話もある。十字軍時には、中東や北アフリカでライオン狩りが行われ、リチャード獅子心王なども行ったというが、やはり何人もの死傷者を出しているようである。
このような勇猛さを示すための狩りは後の植民地時代まで続き、アジアやアフリカで行われた狩猟は獲物を食べるためというより、牙、角、毛皮、頭部、剥製などを戦利記念品(トロフィー)として持ち帰るためのものであった。
鷹狩りに使われるのは小型の猛禽類である鷹、隼などであり、これらは高貴な鳥と見なされおり、非常に高値で売買された。通常、鷹は雛の時に巣ごと捕らえられる(成鳥が捕らえられて調教されることもある)が、取り易い所に巣は作られないため、それを取るのがまず一苦労であるが、さらに獲物を獲ることを教えなければならない。まず、近い距離に鳥のヌイグルミのような疑似餌を置きそれを取ることを覚えさせ、次に怪我をさせた小型の鳥を放って捕らえさせ、獲物を引き裂く前に取り上げることを繰り返す。やがて十分慣れた後、羽根を傷つけて上手く飛べないようにした鳥を使って飛んでいる獲物を取らせた。それだけの時間と獲物用の鳥を使って調教をして、やっと鷹狩り用の鷹として使用できるのである。従って、値段は高価なものとなり、優秀な鷹は王侯への贈り物としても珍重された*3。
*3 日本でも同様で、特に織田信長は鷹狩りを好み、鷹の贈り物を喜んでいる。
当然、これらを購入できるのは上流階級だけであったため、鷹を所有することが上流階級のシンボルと見なされるようになり、女性でもこれらを傍らにおく風習があった。馬で長距離追いかけ、獲物が逆襲してくる危険性のある通常の狩りとは違い、鷹狩りは要は鷹に獲物を取らせるだけであるため、女性でも参加することが可能であった。しかし、実際に鷹狩りを行うには、獲物の種類ごとにそれに合った別の猛禽類が必要となり、本格的な鷹狩りを行えるのは、王侯やかなり富裕な貴族だけであり、王者の狩りとされた。
一方、野鳥狩りは貧者の狩りとされ、鷹狩りをする余裕のない貴族がレジャーと食用に、害獣駆除の農民が作物を守るためと食用に、許可を得た職業捕鳥人が食用のためか、または愛玩用に生け捕りにするために行った。愛玩用の鳥は高値で販売され、多くの捕鳥人ギルドが存在したそうである。様々な罠や方法が考案されており、現在、存在する方法はほとんど中世に既に存在していたようである。