革命とリボリューション

英語のリボリューション(revolution)の訳語が革命だが、この革命という言葉は中華文明の易姓革命から来ており、王朝は天命を受けて存在し、王朝が代わるのは天命が変わったためだとして革命と呼ばれたため、どうしても革命という言葉には王朝の交代というニュアンスが付いてくる。

一方、リボリューションは、その語源から言って、政治システム、社会システムが大きく急速に変化(回転)することを意味している。従って、王朝交代は必ずしも必要はない。また産業革命のように政治的なものでなくとも、結果として、比較的、短期間で大きな社会変化に繋がるものは比喩としてではなく、リボリューションと呼ぶことが可能である。

政治、社会的な意味でのリボリューションの使用は比較的新しく、名誉革命の時からだというが、ポピュラーな言葉として使われるようになったのは、やはりフランス革命からだろう。

フランス革命を標準として考えると、国王が変わっただけの名誉革命や独立しただけのアメリカ革命(独立戦争)には少し違和感があるかもしれない。とはいえ、前者は王中心の体制から議会中心の体制に決定的に代ったと言う点、後者は総督を介した王制から民主制に変化しているため、革命の言葉に相応しいといえる。

意外ではあるが、日本で清教徒(ピューリタン)革命と呼ばれるものは19世紀までは、国内が2つに分かれて争っただけの単なるイギリス内戦と見られており、マルクス主義者などが革命を再定義したことにより、この名前、あるいは名誉革命と併せてイギリス革命の名が広まったものだそうだ。実際、清教徒革命を調べてみると、確かに王が処刑され王制が廃止されているが、社会体制自体はクロムウェルが王に取って代わっただけのようで、大きな社会的変革が伴っていない。イングランドでは、王が殺されて交替するのは、エドワード2世やリチャード2世の前例がある。

では、反乱や内戦や動乱とは、どう違うかというと、結果的なものと見方・立場によって変わってくるようである。ある程度、成功しないと社会変革を実施することができないため、その意図を持っていたとしても、計画段階や早期に鎮圧されれば、革命とは呼びづらい。ジャックリーの乱やワットタイラーの乱などは、とにかく、現状への不満で反乱を起こしているだけで、最終的にどうしたいという明確なビジョンはなかっただろうが、フランス革命にしても、時間と共に急進化しており、バスティーユ襲撃段階で鎮圧されていれば、単なる蜂起・乱と呼ばれたかもしれない。植民地の独立は、植民地内での社会変革がなければ、単なる独立であるが、米国のように民主的な意図を持った憲法を採択すれば革命と呼ぶことも可能だろう。

中国の最初の農民反乱とも言われる陳勝呉広の乱で、陳勝は「王侯将相いずくんぞ種あらんや」と述べているように、中国では易姓革命の思想により農民でも皇帝になることは可能であり、農民反乱の指導者も成功すれば自ら皇帝や高官に取って代わることを目的としているため、リボリューションとはとても呼べない。ワットタイラーの乱の時、ジョン・ポールが「アダムが耕し、イブが紡いだ時に大地主(ジェントリ)はいたか?」との台詞と対照的である。

また、日本ではどうしても易姓革命の概念に引っ張られるため、王朝交代がない日本には革命がなかったとする考えもあるが、政権の実体や社会体制が大きく変わるのであれば、リボリューションと言っても良いのである。

従って大化の改新から律令制の導入、鎌倉幕府の設立から承久の乱後の武家政権への権力移動、明治維新あたりは十分、革命の名に値する。

しかし、世界史においても、一般的にリボリューションはイギリス革命以降の市民革命、共産革命に当てられているため、古代、中世を入れるのは違和感があり、収集がつかなくなるおそれがある。明治維新はリボリューションと言っても良いし、実際、meiji revolutionと訳されるのをしばしば見かけるが、市民革命・共産革命を基準に考えると上からの改革を革命と呼ぶことに違和感を感じるかもしれない。

現在の一般的感覚では、非民主的な政権が、民衆を中心とした急激で多少の暴力を伴った行動により、より民主的な政権に交代することを指すのが最も妥当に感じられるようだ。

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