欧州中世という時代は誤解されやすい時代である。日本だけでなく、欧米自身でも様々な誤解や偏見がつい最近まで信じられていたり、現在でも俗説として一般の人々に広まっていたりする*1。
単純に中世と言っても1000年間もあるため、イメージが定まりにくい上、一般人の認識として、近世の初頭(16-17世紀)を代表的中世と思っている人が多く、エリザベス1世やシェイクスピアや聖バルテルミーの虐殺などは普通に中世と思われており、フランス革命以前を中世と思っている人すらいる*2。
*1 姫と白馬の王子や正義の騎士のような騎士道物語やお伽話のイメージと、その反動からくる非常に残酷で不潔に描いたリアル中世物の影響だろう。
*2 フランス革命の説明で、よく「封建的なアンシャン・レジーム体制が残っており」とか述べているからだろうか?
元々、中世という時代は、ローマ帝国の崩壊による混乱期とそこからの再構成の時代であり、ローマ時代とルネサンス以降の近世と比べて信頼できる文献・資料が少ないため、情報的に暗黒時代だったと言える*3。
さらに、ルネサンス期の人間はローマ帝国が光の時代であり、それが失われた後に、今、再び光の時代が訪れたとしており、その間の時代を暗黒時代と呼んだため中世=暗黒時代が定着したのである。
*3 そのため、様々な中世のイメージが近世以降に作られ、混乱を呼んでいるのである。
さらに、宗教改革以降のプロテスタントはカトリックを批判するために、市民革命の時代には残存している封建的権威を否定する為に、稀な例を一般化し誇張した中世のネガティブなイメージが作り出されており、また、近世・近代では時代と共に右肩上がりに発展したため、当然、中世は近世より劣っており、近世の欠点だった、不潔、魔女狩り、宗教戦争、女性蔑視、貧困層の悲惨さと言ったものが、中世では一層、激しかったはずだと考えるわけだ。
ところが、これらの欠陥はむしろ近世に起こったもので、中世では有ったとしても近世ほど激しくはなかったのである。順を追って見て行こう。
近世の欧州人は風呂に入らず、手を洗わず、歯を磨かず、垢だらけで、歯は虫歯でボロボロだったが、水にできるだけ触れないようにする習慣は、「病気は肌の毛穴から毒素が侵入するためで水分に触れるべきでない」と言う誤った医学知識が近世の初頭に流行ったからである。
中世では、病は神の罰であり、ひたすら行いを改め神に赦しを請うべきであり、例え、死に至るとしても、それは神の摂理で、正しい行為*4を行っていた者は天国に召されるため恐れる必要はないとされ、小手先の医療知識はむしろ魔術の類と見なされ*5、民間の俗説は常に広まりを見せるにしろ、聖職者たちはそれを否定するため、社会全般に広まることはないのである。これが1348年の黒死病以降に変わり始め、医療への関心が高まってくる。
*4 宗教的に正しい行為、懺悔などで赦しを受けることを含む。
*5 だから医療はあまり発達しなかった訳だが・・・床屋外科 参照。
中世ではローマ時代のような、技術の粋を尽くした、風呂*6、水道、下水のような設備は望むべくもなく、風呂は比較的、裕福な階級がバスタブに湯をためて行水のように入る程度だが、庶民でも可能なら水浴びや湯で身体を拭うぐらいはするし、祈りの前や食事の前後に手を洗い口をゆすぐのである。また、砂糖は高価で庶民の口に入ることはなく*7、現代のような加工食品もないため、虫歯は少なかった。
*6 ローマの公衆浴場が下火になったのは、キリスト教道徳が禁じた為というのを時々見るが、売春や同性愛の温床と成り易い公衆浴場を聖職者が非難したのは事実だが、一般人が好むものは道徳的な非難だけでなくなることはない。文明崩壊によって維持できなくなったのであり、天然の鉱泉・温泉は中世においても使われていた。
*7 砂糖が安くなるのは近世に入ってからである。
近世の都市では、糞尿の匂いが漂い、雨が降ると路上は糞尿まみれになり、不潔な人々と相まってしばしば伝染病が流行った。
窓から糞尿やゴミを下の溝に投げ捨てるのは中世からの伝統ではあるが、中世では都市の人口はずっと少なく*8、路上には豚が放し飼いになってそれらを食べておりエコシステムができていたのだ(中世の衛生概念 参照)。
*8 壁で囲っているのが街(都市)の定義であり、農地もあって、そこらの集落と大して変わらない街が多かった。
それが中世末期から、荘園制の崩壊と産業の発展により、農奴が都市に出て労働者となり、人口が急増したわけだが、都市は壁で囲われているため面積を広げることができず*9、同じ面積に数倍の人間がひしめくことになった*10。当然、それまでのシステムは働かなくなり、溝は数倍の糞尿でつまり、雨が降ると溢れ出して道中に広がるわけだ。
*9 壁の外側にも人が住むようになるが、物騒な時代であることは変わらないため、やはり壁の内側に人が溢れることになる。
*10 貧民街では、建物の上に建物を重ね、それが道の上まで張り出し、そこに通路を付けて行き来できるようにしており、魔窟のようになっていた。
中世への誤解 - 暗黒時代
中世への誤解 - 暗黒時代(1)
中世への誤解 - 暗黒時代(2)
魔女狩りも近世から始まったものであり、中世ではローマ教会が主導する異端審問で魔女・黒魔術使いも裁かれたが、手続きは詳細に規定されており、魔女狩りのような大衆のヒステリーによって恣意的に行われるものではなかった。近世の魔女狩りはプロテスタント地域で多く、ローマ教会による統率が失われたことから、世俗の権力者や民衆が感情的に行ったことによるものである。また、その激烈さで悪評高いスペイン異端審問も近世の産物で、世俗の王権が中心となって行っていた。
宗教戦争は、まあ中世にはカトリックしかなく、異教討伐の十字軍や北方十字軍、レコンキスタ、異端討伐のアルビジョワ十字軍、フス戦争などがあり、悲惨さは大して変わらないが、宗教戦争や異端討伐の方が、内戦なだけに悲惨さが激しい。
女性の権利や地位については、単純には言えないのだが、中世では一般的に女性も男性と同様に働かなければならず、そのため夫の不在や死亡時に代理人となり、幼い子供の後見人として、社会において男性と同等の役割を果たす女性は多く、貴族の夫人は「戦う人」である夫が戦争や捕虜となって不在の場合、領地の管理から防衛まで代わりに行っていた*11。また、女性の財産権や相続権も概ね存在し*12、王侯の女性相続人との結婚を巡って歴史が動いていたと言っても過言ではない(結婚と女系継承 参照)。
*11 このため騎士道には貴婦人への敬愛の概念が組み込まれている。
*12 ラテン系の地域(イタリア、南仏、イベリア)では、法的な権利を持っており、当主と成れたが、ゲルマン系では法的には保証されておらず、慣習として夫や息子が名義人となることが多い。
近世では、男女の役割分担が進み、女性は家内のことを担当するようになったため、社会への露出と言う面や法的な権利と言う面では、中世より低下していると言える。また、貴族の場合、中世では領地経営や教会との付き合いは家政の内であり政治的にも女性の役割が大きかったのだが、近世では単なる地主で、教会は冠婚葬祭の場であり、女性は慈善(チャリティ)や社交、屋敷内の事柄を担当して政治には係らなくなっている。
貧困層の悲惨さも、近世・近代の都市の労働者に顕著だったもので、中世では農奴は土地の生産物で食っていけるし、職人たちはギルドで守られ、都市の貧困層は修道院へ行けば、その日の糧を恵んでもらえた。富裕層は、貧困層への慈善を行うことが天国への道と思っており*13、機会があれば喜んで行なった。
*13 「金持ちが天国に入るにはラクダが針の穴を通るより難しい」とされたため、積極的に寄進・慈善をしなければならない。
近世・近代では、都市の労働者は不況になれば、簡単に職を失い路頭に迷うことになり、多すぎる貧困層に教会の慈善は追いつかず*14、社会福祉システムも未だ整備されていないため、ジャン・バルジャンのように飢えに耐えかねてパン一切れを盗むというのも物語の中だけの話ではないのである。
*14 中世の教会・修道院のように自分の収入源(荘園)を持っていないため、安定した財源がなかった。
こうやって見て行くと近世は確かに、産業、科学、技術、思想が発展した時代で、その急激な変化が多くの歪みを生み出しているが、進歩・発展の信奉者はそれを中世由来のものと考えたことによるようだ。
中世は残虐な世界であり、何らかの争いは日常茶飯事で、医療は未発達で、幼児死亡率は高く、特に黒死病などの疫病、飢饉、内乱、戦争などにより秩序が失われると略奪や盗賊が横行して地獄絵さながらに陥ることもあった。人の命は儚いものであり、人々は宗教にすがって死後の世界に期待をかけることになる。
しかし、戦争はいつの時代も悲惨なもので、歴史の上では、そのような災害・戦災が目立つが、長い時間の中では、むしろ稀な出来事であり*15、平和が維持されていれば、日曜は休みで、祝祭日*16は多く、労働時間は現代と変わらず、近世・近代よりも余裕があり、人々は各々の身分に合わせてだが、比較的安定した暮らしをしていた。
*15 第一次大戦、第二次大戦は歴史上かってない人的・物的損害があり、ベトナム戦争やビアフラ戦争は悲惨な戦争だったが、それをもって現代は残酷で悲惨な時代だったとは言えないだろう。
*16 キリスト教の祝祭日は非常に多いのである。年の1/3は休日だったと言われている。
また、ここでは触れないが、中世に使われたとされる鉄の処女(アイアン・メイデン)などの各種拷問具の多くや貞操帯などは、箔付けのために中世から伝わると称して近世に作られたものである。
決して中世が良い時代だと言うつもりはないが、誤解により必要以上に非道な時代とされるのは愉快ではないし、また、社会や文明論などで、他の時代や地域を中世と比較した議論が見られるが、誤った認識に基づいていては意味を持たない。まだまだ中世は不明なことが多いが、比較的、新しい書籍は新しい知見に基づいたものになっており、より確かな情報が広まって欲しいものである。
宗教戦争は、まあ中世にはカトリックしかなく、異教討伐の十字軍や北方十字軍、レコンキスタ、異端討伐のアルビジョワ十字軍、フス戦争などがあり、悲惨さは大して変わらないが、宗教戦争や異端討伐の方が、内戦なだけに悲惨さが激しい。
女性の権利や地位については、単純には言えないのだが、中世では一般的に女性も男性と同様に働かなければならず、そのため夫の不在や死亡時に代理人となり、幼い子供の後見人として、社会において男性と同等の役割を果たす女性は多く、貴族の夫人は「戦う人」である夫が戦争や捕虜となって不在の場合、領地の管理から防衛まで代わりに行っていた*11。また、女性の財産権や相続権も概ね存在し*12、王侯の女性相続人との結婚を巡って歴史が動いていたと言っても過言ではない(結婚と女系継承 参照)。
*11 このため騎士道には貴婦人への敬愛の概念が組み込まれている。
*12 ラテン系の地域(イタリア、南仏、イベリア)では、法的な権利を持っており、当主と成れたが、ゲルマン系では法的には保証されておらず、慣習として夫や息子が名義人となることが多い。
近世では、男女の役割分担が進み、女性は家内のことを担当するようになったため、社会への露出と言う面や法的な権利と言う面では、中世より低下していると言える。また、貴族の場合、中世では領地経営や教会との付き合いは家政の内であり政治的にも女性の役割が大きかったのだが、近世では単なる地主で、教会は冠婚葬祭の場であり、女性は慈善(チャリティ)や社交、屋敷内の事柄を担当して政治には係らなくなっている。
貧困層の悲惨さも、近世・近代の都市の労働者に顕著だったもので、中世では農奴は土地の生産物で食っていけるし、職人たちはギルドで守られ、都市の貧困層は修道院へ行けば、その日の糧を恵んでもらえた。富裕層は、貧困層への慈善を行うことが天国への道と思っており*13、機会があれば喜んで行なった。
*13 「金持ちが天国に入るにはラクダが針の穴を通るより難しい」とされたため、積極的に寄進・慈善をしなければならない。
近世・近代では、都市の労働者は不況になれば、簡単に職を失い路頭に迷うことになり、多すぎる貧困層に教会の慈善は追いつかず*14、社会福祉システムも未だ整備されていないため、ジャン・バルジャンのように飢えに耐えかねてパン一切れを盗むというのも物語の中だけの話ではないのである。
*14 中世の教会・修道院のように自分の収入源(荘園)を持っていないため、安定した財源がなかった。
こうやって見て行くと近世は確かに、産業、科学、技術、思想が発展した時代で、その急激な変化が多くの歪みを生み出しているが、進歩・発展の信奉者はそれを中世由来のものと考えたことによるようだ。
中世は残虐な世界であり、何らかの争いは日常茶飯事で、医療は未発達で、幼児死亡率は高く、特に黒死病などの疫病、飢饉、内乱、戦争などにより秩序が失われると略奪や盗賊が横行して地獄絵さながらに陥ることもあった。人の命は儚いものであり、人々は宗教にすがって死後の世界に期待をかけることになる。
しかし、戦争はいつの時代も悲惨なもので、歴史の上では、そのような災害・戦災が目立つが、長い時間の中では、むしろ稀な出来事であり*15、平和が維持されていれば、日曜は休みで、祝祭日*16は多く、労働時間は現代と変わらず、近世・近代よりも余裕があり、人々は各々の身分に合わせてだが、比較的安定した暮らしをしていた。
*15 第一次大戦、第二次大戦は歴史上かってない人的・物的損害があり、ベトナム戦争やビアフラ戦争は悲惨な戦争だったが、それをもって現代は残酷で悲惨な時代だったとは言えないだろう。
*16 キリスト教の祝祭日は非常に多いのである。年の1/3は休日だったと言われている。
また、ここでは触れないが、中世に使われたとされる鉄の処女(アイアン・メイデン)などの各種拷問具の多くや貞操帯などは、箔付けのために中世から伝わると称して近世に作られたものである。
決して中世が良い時代だと言うつもりはないが、誤解により必要以上に非道な時代とされるのは愉快ではないし、また、社会や文明論などで、他の時代や地域を中世と比較した議論が見られるが、誤った認識に基づいていては意味を持たない。まだまだ中世は不明なことが多いが、比較的、新しい書籍は新しい知見に基づいたものになっており、より確かな情報が広まって欲しいものである。