神聖ローマ帝国の爵位・称号

神聖ローマ帝国の称号は複雑で、同じフランク王国から分かれたフランスとは幾分、異なっているため、少し説明してみようと思う。

元々、ゲルマニアにはザクセンやバイエルン、シュバーベンなどの部族が割拠しており、それらがフランク王国の州として組み込まれても部族大公とも呼ばれる公(Herzog)の統率の下にあった。

フランク王国では、この部族大公を徐々に解体して行き、カール大帝の頃には消滅し、他と同様に地域毎に(Graf)が置かれたのだが、フランク王国の分裂後に、各州の有力者が再び公を名乗って割拠し、それらの公の互選によりザクセン公のハインリッヒ捕鳥王がドイツ王となり、その子のオットーがイタリアも支配下に入れて神聖ローマ皇帝となった。

歴代の皇帝は小王国とも呼べる広大な領域を有する公の力を削ぎ、中央集権を復活させる為に、様々な手を打っている*1。

*1 その一つとして、各地に司教領や修道院領を創設することを奨励した。教会領は公領の支配を受けない為、皇帝の支配を地域に浸透させるのに都合が良かったのだが、皮肉なことにグレゴリー改革後に叙任権闘争を引き起こすことになった。

本来、宮中伯(Pfalzgraf)と言うのは、王の宮廷にあって補佐をする役目であるが、帝国内の各地の宮殿・直轄領に宮中伯を置き、各公の目付け役も果たした*2。

また新たに獲得した領土は公領に入れずに、辺境伯(Markgraf)*3を置き、ランクは公より下ながら同等の権利を持たせている。

*2 この為、各公領毎に宮中伯が存在したが、その後、公領の解体に伴って消滅していき、ロートリンゲンの宮中伯だったライン宮中伯のみが残ったため、単に宮中伯=ファルツ伯と呼ばれた。
*3 辺境は意訳であり、直訳すると境界・境目である。その向こうが文明地帯であるイタリアやスペインでは、辺境どころか、むしろ先進地域だった。

さらに、直系が絶えたり、叛乱・反抗によって解任されて、公領が解体される時に、方伯(Landgraf)*4が作られ、辺境伯と同等の権利を持った。

*4 直訳すると国であり、その規模の領域を有する伯

主要な州のうち、フランケンはザクセン朝が出来た時に反乱により解体され、下ロートリンゲンはハインリヒ5世の時に、ザクセンとバイエルンはヴェルフ家のハインリッヒ獅子公の時に解体され、最後まで残ったシュバーベンもホーエンシュタウフェン家の滅亡により消滅した*5。

*5 例外としてはボヘミアが王国に昇格して、その後も継続し、選帝侯にもなっている。

公領の解体の結果、帝国直属として、規模が小さくなった公、宮中伯、辺境伯、方伯、そして帝国伯(Reichsgraf)*6、城伯(Burggraf)、直属領主(Freiherr)、帝国騎士(Reichsritter)が存在し、各領邦にも伯以下の領主や騎士が存在した。

*6 中世においては、この辺までが、領邦というに相応しいだろう。

帝国直属の諸侯(等族)は君主(Fürst)*7の称号を持ち、皇帝権が弱まると共に権利を増加し、1648年のウェストファリア条約後には主権君主(sovereign)となっていく。

*7 英語ではプリンス

大空位時代以降、選挙皇帝制になると選挙権を有する有力諸侯の地位は上がり、1356年の金印勅書によって正式に諸侯より一段上の選帝侯(Kurfürst)の称号が使われるようなった。

こうして、神聖ローマ帝国の貴族の序列は、皇帝、選帝侯、公、その他の等族(ここまでが帝国直属で君主)、(直属でない)伯、城伯、領主、騎士、ユンカー*8となった。

*8 本来は、貴族の家の若年の者の意味だが、後に爵位・称号を持たないvonのみで区別される最下級の貴族を指すようになった。

これを五爵に当てはめると、公、その他の等族、伯、城伯、領主が、それぞれ公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と訳されている。

ところがドイツでは、跡継ぎのみが爵位を継承する英国等とは違い、嫡出の男子全員が爵位を受け継ぐため、本家の当主とその家族、分家が同じ称号を持ち*9、爵位称号と実際のランクと実力はかなり乖離することになり、爵位称号だけでは判断が付かなくなっている。

領邦君主(Fürst)は領邦内の貴族よりも上位なのだが、19世紀になると領邦の統廃合が行われ、君主の地位を失った旧君主達は吸収された領邦内の貴族となったが、現君主>旧君主>一般貴族の身分差があり、同じ称号でもランクは違うことになる。

*9 但し、当主のみ一段高い称号を保持している場合がある。

神聖ローマ帝国の解体後もオーストリア帝国、プロシア王国、その他の領邦国家、そしてドイツ帝国に受け継がれ、貴族制度も同様に維持された。

ドイツ・オーストリアの貴族は第一次大戦後に廃止されたが、オーストリアでは貴族を意味する称号はvonを含めて禁止されているのに対して、ドイツでは苗字の一部として貴族の称号を使用することが認められている。

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