中世の衛生概念

現代人は清潔好きである。多少、神経質気味とも言えるくらいで、抗菌加工を唄った製品が売れ、まるで無菌室で生活したいかのように細菌を嫌い、汗、体液*1、糞尿といったものを汚がる。

*1 鼻水と成分は同じなのに、なぜか涙だけは汚がられないのが不思議である。

このような衛生概念からか、中世において入浴する習慣があまりなかったことや糞尿の処理が、しばしば都市では道に投げ捨てていたことなどが揶揄的に紹介されたりする。

確かに現代人から見れば野蛮で不潔な世界なのだが、それが身の毛のよだつ耐えられない世界というわけではない。

当然ながら人間を含めた生物は進化の中で細菌や寄生虫と共生しており、通常、周囲に存在する細菌は、それが莫大な数に繁殖しない限り害になることはない*2。生物由来の物は汚く感じても、体から出たばかりの物は生物に害のあるものではなく*3、それに微生物が大量に繁殖することで有害となるだけである。

*2 それまで居なかった菌が外部から流入した場合は疫病となりうる。
*3 現代でも尿を飲む健康法が流行ったこともある。

現代人は糞尿や汗の匂いですら嫌うが、これらは必ずしも不快な匂いではない。好きな人の汗なら好ましく思う人も多いだろうし、昔の人は糞尿を快いホッとする香りと感じていたようである。

想像して欲しい。日本の農村では肥溜めの匂いで満ちており、街中では汲み取り式の便所から漂う香りが溢れていたことを。日本も大きくは変わらないが、西洋の中世では、人は動物と共に暮らしていた。生活の中で、馬やロバは移動に欠かせない動物であり、犬は足元をうろうろしており、豚と鶏はどこででも飼われており、農村には農耕用に牛もいる。これらの生物の匂いに包まれていた訳で、動物園の中のような匂いが漂っていただろう。そういう中で暮らす人間にとっては、それらの匂いはあって当たり前の普通の匂いである。

糞尿も湿度の高い日本の肥溜めを想像すると汚いが、乾燥した地域や日の当たる環境では糞は1〜2時間でただの土になるし、都市でうろついている豚はこれを食べており、残飯なども犬や豚が食べるというエコシステムができているのである。

糞尿に関する話題は人の関心を引きつけるらしく、ハイヒールは道に溢れている糞尿を避けるために作られたという与太話が世間でかなり広まっている。
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男女を問わず汚物対策に欧州の中近世で使用されていたのは、この便所サンダルのような木靴で、普通の靴*4の下に履いていた。このように三点で支えて全体を高くすることにより着物の裾に汚物がつかないようにすると共に、接地面が少ないため木靴への泥のこびりつきが少なく、また普通の靴の上に履くため屋内に入った時に汚物で中を汚す心配もない。

*4 絵画でよく見る先が細長く尖った靴。

ところが16世紀頃になると馬に乗る時に鐙に足を懸け易いということで踵の高いものが使用され始め、一方、全体を上げるより踵をより上げる方が姿勢が美しく見えるため、女性にも使用されるようになった。踵が高いと、歩いたり作業するには不便なため、これを使用するのは馬に乗って移動し労働をしない上流階級のみであり、同時にステータスとも見なされるようになったもので、やがて男性は乗馬ブーツを履くようになり、主に、背を高く見せたく、かつドレスの裾が気になる女性に使用されるようになったものである。このように汚物対策*5の役割は持っているが、踵を高くしたこと自体は汚物とは関係がない。

*5 特に汚物というより泥一般が着物の裾につかないための対策であり、日本の高下駄、ぽっくりなどと同じである。

従ってハイヒールは汚物がつかないように開発されたというのは誤りであり、上記の事実を曲解して、気取ってハイヒールを履いている人を揶揄するために作り出された話であろう。

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