大公と公

引き続き軽い話を。日本語では原語が違う様々な称号を大公と訳して、その違いが分かり難くなっているため、簡単に解説してみる。

1. 大公爵(Grand Duke)

元々、公(Duke)は最高の称号だったわけだが、14世紀頃から英仏では王族に新たに公爵を与えるのが一般的になり、ドイツでも州を丸ごと有していた公(部族大公)が色々分割されて小さな公が多く誕生したため、有力な公はより上の称号を求めるようになった。

14世紀頃、選定侯に含められなかったハプスブルク家が、自らを他の公より上だとして、オーストリアのArchDuke(大公爵)を自称し、後にこれをハプスブルク家の神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世が自ら公式に承認している。

15世紀の百年戦争後にブルゴーニュ公フィリップ善良公がドイツとフランスの境目であるブルゴーニュ・ネーデルランドに強力な独立的勢力を築き、自ら「西の大公爵(Grand Duc)」と名乗った。

16世紀にはメディチ家がトスカナ大公爵を教皇から与えられている。また、スエーデンはフィンランド大公爵を名乗って領有していた。

ナポレオン戦争後の19世紀には、称号を格上げされたドイツの領邦国家が多く、大公爵(Großherzog)が増加した。

また、オーストリア大公爵は神聖ローマ帝国の世襲皇帝となったハプスブルク家の王族に与えられる儀礼賞号となった。同様にロシア帝国でもモスクワ大公爵が王族に与えられた。

現代では、ルクセンブルグが大公爵(Grand Duc)を名乗っている。

2. 大プリンス

カトリックでない地域の君主を西欧では王ではなく単にプリンスと呼び*、地域一帯を統一した君主の中の君主の称号を持つものをGrand Princeと呼んでおり、日本語ではこれも大公と訳する。もっともPrinceとDukeはほとんど同等に使われることが多く、王族の儀礼称号にPrinceを使う地域では、これと区別するためGrand Dukeと表現することもある。リトアニア大公、モスクワ大公と呼ばれるのがこれである。

* 現地語では王に値する君主称号を名乗っていることが多い。モスクワ大公は本来はツアーリ(皇帝)を名乗っている。

3. 主権君主(プリンス)

プリンスは公と訳されることが多い(この意味の場合、王子と訳するのは誤り)が、公の称号は公爵にも使われるため、主権君主の場合を区別するために大公と呼ぶことがある。現代ではモナコ、リヒテンシュタインの君主がしばしば大公と呼ばれ、歴史的にはドイツの部族大公、ドイツ、イタリアの領邦国家君主が特に文学などでそう呼ばれる。例えば、ロミオとジュリエットの舞台のヴェローナの君主は大公と呼ばれているが、原文はprinceである。

イングランドの王太子プリンス・オブ・ウェールズも本来の意味はウェールズ君主であり、ウェールズ大公と呼ばれることもあるが、イングランド併合後は主権君主とは言えないため微妙である。

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