正式な婚約(Betrothal)

結婚が決まってから実際に結婚するまでには、結婚式や新居など様々な準備が必要なため、その期間を婚約期間とするのはどの時代のどの文化にも存在する。

しかしヨーロッパにおいては、単なる結婚の約束ではなく、むしろ結婚の第1段階と考えられる正式な婚約(Betrothal)が中世、近世において重要だった。これは婚姻の社会的な面(家同士の同盟)と生物学的な面(子孫を作る)をそれぞれ婚約と結婚の2段階に分けたものといえる。中世においては婚約が決まった時点で、社会的な契約が締結され(王侯の場合は国家間の条約にもつながる)、女性は相手の家に嫁ぎ、その家で暮らすことになった(幼女の場合はむしろ育てられるイメージ)。

有名な1215年の第4ラテラン公会議で正式に結婚の手順が決定され、婚姻は婚約と結婚の2段階をもって執り行われることが決められたが、基本的には以前から存在する手順を正式に法制化したものである。

Betrothalの起源はユダヤ教の法に定められており、それがキリスト教にも受け継がれた訳だが、ヨーロッパにおいてBetrothalが重要だった理由としては次のものが挙げられる。

1. キリスト教、特にカトリックでは原則、離婚ができず*、相手が生きている限り再婚ができない。従って、婚約期間を長く取り、子供が生まれない等、離婚の原因となるものがあれば、その間に破棄する方が容易である。

2. 中世の婚姻はむしろ家同士の契約が重要であるが、キリスト教では交接の確認をもって結婚の完了と見なしたため、当人が幼児である場合、結婚することができない。このため、世俗的な契約(条約)が必要な時点で婚約し、当人達の成熟を待って結婚を行った。

* (現実的には「結婚の無効」という措置が可能であるが、教会に対してそれなりの代償を払わなければならず、場合によっては認められないことがある。その結果、歴史的大事件になったのがヘンリー8世の離婚問題とイギリス国教会の成立である)

歴史資料によっては、しばしば同一人物の結婚の年が大きく異なって記録されていることがあるが、これはBetrothal時を実質的な結婚として記録するか、正式な結婚年を記録するかの違いであることが多い。

近代では、北米などで試験結婚としてBetrothalが利用された。すなわち、一定期間、夫婦として暮らし、相性が合わなかったり、子供が生まれなかった場合に、Betrothalの解消という形で、キリスト教的禁忌である離婚を避けたのである。

また、近代の紳士、淑女の付き合いでは未婚の男女が2人だけで会うことは不謹慎とされため、気に入った相手がいれば、まずプロポーズをし、婚約してから付き合いを始め、最終的に結婚するかを決めるという現代とは逆の手順のために利用された。

一方、幼児婚が可能だった近代以前の日本では、必要であれば即座に結婚できたため、許婚は単なる将来についての約束であり、必要に応じて破棄できるものだった。そもその結婚自体が普通に離縁が可能だったこともあり、婚約の重要度は低かったといえる。

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