中世ヨーロッパの貨幣

中世ヨーロッパの貨幣の基本は銀で、Lsd通貨単位である。

これはカール大帝(シャルルマーニュ)が設定したものだが、ローマの重量単位と貨幣制度に基づいている。

Lがリブラで、sがソリドゥス、dがデナリウスで、フランス語だとリーブル、スゥ、ドニエとなり、英語だとポンド、シリング、ペニーとなり、どの言語にも対応する表現はあり、例えばイタリア語ではリブラはリラ、ドイツ語ではペニーはペニヒとなる。

表現が何であれ、カール大帝はL=20s、s=12dと決めており、伝統を重んずる英国では20世紀まで1ポンド=20シリング=240ペンスの貨幣単位が継続していた。

何で、この割合なのか昔から疑問だったのだが*1、1ソリドゥス金貨が12デナリウス銀貨と等価の時期があったためらしい。金銀の価値比率が1:12の時期が長く、同サイズの金貨は12倍の価値を持ったということだ。一方、デナリウス銀貨は時と共に小さくなっており、ポエニ戦争の頃は1リブラ=48デナリウスだったのが、ネロ帝の頃は96で、その後もどんどん小さくなって240にまで落ちたようである。

*1 12進数を用いているのなら、両方、12倍であるべきだろう。

リブラは同時に重量単位でもあり、要するに1リブラの銀から240個のデナリウス銀貨が作られ*2、デナリウス銀貨と同サイズのソリドゥス金貨が12倍の価値を持つということである。

*2 実際には貨幣鋳造益が10%程、加えられる為、260~270個製造されることになる。

しかし、西欧でははあまり産出せず、中世に入ってから東ローマ帝国との貿易赤字で一方的に金が流出したため、カール大帝の頃には金貨はほとんど存在せず*3、全て銀による単位だった。

*3 記念メダルのような意味合いで、時々、発行されることはあった。また、東ローマのソリドゥス金貨も一定量、流通しており、中世の国際通貨(ドル)と呼ばれることがある。

イングランドはフランク王国の支配下だったことは無いのだが、ローマ帝国内だったこともあるし、国際的なフランク王国に合わせることが有利だった為、同じ通貨単位を採用している。発行される硬貨は長らく1ペニーだけで、シリングやポンドは表記・帳簿上のみの単位だった。

要するに3シリング支払う場合は、1ペニーを12枚束ねた物を3つ渡すわけだ。ポンド単位の高額の場合は銀の延べ棒が使われたが、これはマルク(マーク)単位であり、2ポンド=3マルクだった*4。

*4 1マルクは8オンスで、通常の重量ポンド=16オンスの1/2なのだが、貨幣のポンドはトロイ衡の重量ポンドが使われており、これは12オンスのため、この比率となる。

この頃からイングランド人は真面目で保守的であり、スターリング・シルバーと呼ばれる92.5%純度の比較的、大きさの変わらない1ペニー銀貨が発行され続けた。商業が復活し、貨幣の使用が都市では日常的になってくると、より少額のコインが必要となったが、当初は1ペニー銀貨を文字通り半分に割り、半ペニー、さらに半分にして1/4ペニーとして使用した*5。後に1/4ペニーのファージング硬貨が発行されることになる。

*5 十字架が描かれているコインが多く、丁度、それに沿って割っていた。

これに対して、大陸では多くの事実上の領邦が存在して独自に貨幣を発行しており、地方により度量衡が異なっていため*6、西欧の多くの地域がLsd貨幣単位を使っていたにも関わらず、コインの大きさ、質には大きな相違があった。さらに、商業の回復により貨幣の需要が高まってくると、通貨不足や君主・政府の歳入不足により銀の純度を下げる改鋳(悪鋳)が行われ、一層、差異は激しくなり、ドイツでは銀の純度が著しく低い、ほとんど銅貨*7のペニヒが発行されていた。

*6 トロイ衡もシャンパーニュの大市が開かれ、経済の中心地だったトロイの重量単位である。
*7 その色から黒貨と呼ばれた。

このため、両替商の存在は必須だったが、比較的、安定しているイングランドのペニー硬貨は好まれ、また高額の取引ではマルク単位の銀の延べ棒を使うのが普通だった*8。価値の下がったコインより、より価値の高い安定したコインが求められ、多くの地域でグロッソ(大銀貨:グロ、グロート)と呼ばれる大型の銀貨が発行されるようになった。

*8 リチャード1世獅子心王の身代金もマルク単位で請求されている。

しかし、大型銀貨の価値も不安定であり、イタリアの商人たちは国際取引に使える安定したコインを望んでいた。一定量、流通していたビザンティン帝国の金貨が質・量ともに低下していることに加えて、十字軍以来の東方交易の繁栄により、イタリアの商業都市には金が集まり始めており、またハンガリーなどで新たに金鉱が発見されたことにより、1253年にフィレンツェでフィオリーノ金貨が作られ、同様の金貨がベネチアではデュカート*9、ハンガリーではフォリントなどの名前で発行されている。これらは貨幣政策とかでなく、同サイズ、同純度(3.5g)で製造され、純粋に金の分銅として国際通貨単位となった。また、フランスではエキュ、ドイツではグルデンなどの金貨が発行されるようになったが、こちらはサイズも純度も度々、変更されるため、相変わらず両替商の世話になるものだった。

*9 英語発音では、フローリン、ダカットで知られる。

ルネサンスの頃はイタリアはもちろん、欧州全域でフローリンやダカット単位が使われた。もちろん、実際はその価値の銀貨で払われることもあるだろうし*10、様々な銀貨を両替商でフィオリーノ金貨に交換して支払うこともあっただろう。銀貨の計数単位であるLsdに各国語ごとの表現が有るのに加えて、重量単位のマルク、金貨による単位があり、さらにコインの名前を直接、単位として呼ぶことも多く、コインの種類だけ貨幣単位があることになり、中近世の価格表現は(少なくとも門外漢にとっては)複雑である。

*10 日常の支払いは銀貨の方が使い勝手が良い。金貨は万札というか10万円硬貨のようなものである。

中国や日本では銭=銅貨が長らく中心であり、欧州でもローマ帝国時代には銅貨も使われたのだが、中世以降は何故か銅貨は使われていない*11。欧州で銅貨が作られるようになるのは、16世紀頃からで、銅地金の値と関係の無い兌換貨幣(トークン)として発行されている。

*11 もっとも、上記の黒貨などは実質的な銅貨ではあるが。

経済は理論は単純なのだが、現実は様々な要素から複雑で、貨幣の改鋳の影響も単純には述べられない。

本来は貨幣の価値は含まれる貴金属の価値であり、純度が下がれば単純に価値は下がる。秘密に改鋳しても両替商はそれを調べるのが商売であり、その情報は両替商仲間で共有され、両替比率に反映される。

そうすれば、例えば1ドニエで買える物の量は減りインフレとなり、政府から定額で年金や俸給を受けている人間は生活が苦しくなるが、ドニエ建てでの借金・支払の負担が少なくなることになり、歳入不足で借金苦の君主・政府は息をつけることになる。一方、物を作る(農民、職人)、流通させる(商人)人々は、インフレに比例して額面が大きくなるだけで、理論的には生活への影響は少ない*12。

*12 とは言え、現実には弱い立場の者にシワ寄せが来ることはある。

しかし健全財政の政府が通貨不足で純度を下げ発行量を増やした場合、何らかの方法で価値の保証をしていれば、これは兌換貨幣として、その価値を維持することは可能である。例えば、ベネチアのグロッソ銀貨(1.6g)は1332年からソルディノ銀貨(0.5g)4枚に相当するとしていたが、銀の含有量は3枚分しかないわけで、4枚との交換を保証することで、その価値を維持したと言える。経済力のあるベネチアの裏付けだから可能であり、同様のことを経済的信用の無い政府が行っても直ぐに3枚分の価値として取引されることになるだろう。

また、16世紀に入って新大陸から大量の銀が流入してインフレが起こるが、これは金銀の価値比率の変化を伴うため、金を中心に保有していた者と銀を中心にしていた者とでは影響が異なることになる。

最新

ページのトップへ戻る