ルネッサンス三大発明

これは印刷術、火薬、羅針盤のことで、昔、この言葉を聞いたことがあり、現在でもネットを検索すると随分出てくるが、ちょっと歴史に詳しければ、これらはルネッサンス期の発明じゃないし、ヨーロッパでもなく、元は中国だろうと不審に感じるはずである。

元々、この三大〜というのは日本独自の言い回し*1で、多くは日本で勝手に作られ呼ばれているものである*2。Renaissanceやinventionで検索しても、ルネッサンス期の多くの発明物が出てくるだけで三つ限定して出てくることはない。

*1 Wikipediaの「世界三大一覧」項目の外国語リンクは中文だけである。
*2 三大美女に小野小町が入ったり三大夜景に函館が入ったりしているのは明らかに怪しいだろう。ただし、外国にも飛び抜けたものを〜大という言い方はあるが、5つあれば5大であり数にはこだわらない。

とはいえ元ネタはあるもので、フランシス・ベーコンが1620年に歴史に大きな影響を与えた3つの物として挙げているそうで、またマルクスが近代社会をもたらした3つの偉大な発明として挙げているが、どちらもルネッサンスとは言っていない。この辺を元に三大好きの日本人の誰かが言い出して広まったのであろう。中国では、これに紙を加えて中国の四大発明と呼んでいるらしい。

正確にいえば、これらはルネッサンス期に改良され普及し社会に大きな影響を与えた技術である。重要なのは発明されたということより、それが利用され社会に大きな影響を与えることであり、その点では中国においてはこれらはあまり有効利用されておらず、ヨーロッパの発展に大きな役割を果たしたことを鑑みるとルネッサンス三大発明という言い方はあながち間違いではない。

この3つの中でもっとも重要なものはグーテンベルクの印刷術であり、これにより人類の右肩上がりの発展が始まっているのである。それ以前の歴史においてはギリシア・ローマ文明から中世の暗黒時代のように、文明や科学技術は発展して失われることを繰り返しており、様々な技術は何度も発明され何度も失われているのである。

人類は文字を用いることにより人間の寿命を超えて、また直接対面する人の枠を超えて、つまり時間と空間を超えて知識を伝えることができるようになり、知識は蓄積され技術は発展するようになったが、媒体として使用される紙は非常に脆弱であり、戦争や火事で簡単に燃え、乱暴に扱えば破れ、水にも弱く、保存状態が悪ければ虫が食い、黄ばみ、インク/墨が薄れ、やがて失われることになる。さらに折角、保管されていても、その内容に対立する人間が意図的に破壊することも多かった(焚書坑儒、アレキサンドリア図書館の破壊など、枚挙に暇がない)。

しかし、現代にコンピュータが利用されるまで、紙は人類が使用した媒体の中でもっとも利便なもので、これに代わるものはない。脆弱という欠点を補うには、大量に複写を作り、多数の場所に保管することで、情報の広がりと維持を確保することであるが、当然、手作業による写本は数に限りがあり、版木を彫っての木版印刷も版木づくりに手間がかかりすぎるため、長大な書籍には適用しづらかった。

しかし、活字を組み合わせる活版印刷により、印刷は簡便に廉価に実施できるようになり、印刷されるタイトル、量ともに飛躍的に増大したのである。

活字のアイデア自体は昔からあるのだが、漢字圏では字数が膨大なため、活字を作ることの労力が大きすぎて実用的でなく*3、一方、ヨーロッパでは紙の普及が遅く、中世末期まで羊皮紙が主流であり、印刷が発達しなかった。ちょうど、ヨーロッパでも紙が普及し始めたため、活版印刷が実用的になったのである。このように発明は単独に誰かが発明するというより、必要性(需要)ができ、それを支える技術・供給が整って初めて実用化できるのである。

*3 李氏朝鮮ではわざわざ表音文字(ハングル)を作ったが、書籍を著述するインテリ階級は簡易文字として卑しんで使用しなかった。日本でも庶民向けの草子などは平仮名中心のものもあったが、知識階級が使うのは漢文か漢文読み下し文だった。

グーテンベルクの印刷術以降、知識が完全に失われることはなくなり、知識は常に広がり、蓄積され、人類は常に巨人の肩に乗って*4、新たな高みを目指すことができたのである。また、ヨーロッパに限って言えば、印刷術により聖書が一般人の手元にも渡り、宗教改革に繋がっている点が重要である。

*4 現代人が過去の人間より優れていると思っている人が多いが、人間の知能はホモ・サピエンスになってから、ほとんど変化しておらず、我々は過去の知識の蓄積という巨人の肩に乗っているだけなのである。

次いで火薬は戦争の規模を拡大し、人員の殺傷率を増加させた。大砲はそれまで少人数で防衛可能だった城壁を無力化し、より殺傷規模の大きな野戦が主流となり、素人でも頑丈な甲冑を撃ち抜ける小銃は動員規模を拡大し被害者の殺傷規模も拡大した。これにより、個人の武勇が尊重される古き良き戦争*5は無機質な大量殺戮を行う悪しき戦争に変化していった。

*5 むろん良い戦争というものが有るわけではなく、エリート戦士層のノスタルジアであるが、殺戮規模が大きくなったことは事実である。

また欧州諸国は火器の利用により、数や体力で優るアフリカや北南米の原住民を圧倒して植民地化を進め、その資源を利用して世界的な優位を確立している。その一方で小銃の利用はエリート戦士階級に独占されていた武力を庶民レベルにまで広げ、民主化、革命の原動力ともなっている。

羅針盤は実はそれほど重要ではない。中世盛期ごろに既に存在していたが、当時の航海は沿岸の陸地を見ながらそれに沿って進むのが主流であり羅針盤はあまり必要なかったのである。せいぜい、ビスケー湾を近道するために横断する時や島に向かう時に便利だったぐらいであるが、大体の方向は、晴れていれば、昼なら太陽、夜なら北極星などの星で分かるため、なくてはならないものではなかった。

しかし、大航海時代に入って大洋を航海するには大体ではなく厳密な方向が必要となり、晴天、曇天に係わらず航海する必要があり、羅針盤は必要不可欠なものになったのである。もっとも帆船である限り、方向、速度とも厳密に制御できるものではなく、むしろ現在位置を把握する天測航法が重要である。

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