ランバート・シムネルとパーキン・ウォーベック - 塔の王子の偽物たち

ランバート・シムネルとパーキン・ウォーベック - 塔の王子の偽物たち(1)

ヘンリー7世の即位は一種の諦めをもって受け入れられ、エリザベス・ヨークとの結婚によりヨーク派とランカスター派の統合を宣言したことで一応の安定を示した。

しかし、ロンドン塔に幽閉されていたエドワード4世の2人の息子エドワード5世ヨーク公リチャードの行方は謎のままであり、さらにヨーク派の最後の男系継承権者であるクレランス公ジョージの嫡男ウォーリック伯エドワードも幽閉されていた。

チューダー朝の初期に、塔の王子を名乗る者が現れて一定の支持を受けたのは、民衆は悲劇の王子が生存していることを願い、旧ヨーク派は担ぐ人物を必要としており、欧州の王侯たちはイングランドに対する干渉や交渉の道具にできるとの思惑があったからである。

リチャード3世の推定相続人*1だったリンカーン伯ジョン・ドラポールは、ボスワースの戦いにも参加しておらず、ヘンリー7世の即位後に赦免されていたが、旧ヨーク派の中心人物として反乱を画策していた。一方、オックスフォードの若き神父シモンズは眉目秀麗で聡明そうな子供を見つけ王子に見えるよう教育しており*2、当初はヨーク公リチャードを詐称させるつもりだったが、ウォーリック伯エドワードが死去したとの噂*3を聞いて年齢の近いウォーリック伯を名乗ることにしてヨーク派と連絡を取り、1487年の初頭に伝統的にヨーク派の強いアイルランド*4に連れて行き、アイルランド総督のキルデア卿などの支持を得て、5月にエドワード6世としてダブリンで即位させた。

*1 母がリチャード3世の次姉エリザベスだった。
*2 単なる詐欺師の類だったようだ
*3 虚偽の噂で実際は生存していた。
*4 薔薇戦争とは何だったのかで示したように先代ヨーク公リチャードがアイルランド総督になって以来、ヨーク派の牙城となっていた。

その間、リンカーン伯はブルゴーニュ公妃マーガレット*5の元に行き、自分がウォーリック伯を脱出させたと語って支援を求め、2千人ばかりの傭兵を得て、リチャード3世の腹心の1人だったロベル卿*6とも合流してアイルランドに向かい、僭称者エドワード6世の一行に合流した。

*5 リチャード3世の三姉でシャルル突進公と結婚し、その娘マリーはハプスブルク家のマクシミリアン1世と結婚し、その嫡男フィリップ(美王)はスペインの狂女王ファナと結婚することになる(ハプスブルクの結婚戦略 参照)。
*6 リチャード3世を揶揄した流行り歌で、3人の腹心の1人に挙げられ、1486年に反乱を起こしたが失敗して亡命していた。

実際にはウォーリック伯はロンドン塔に生存していたため、ヘンリー7世は当初は、これらの動きを軽視していたが*7、この情勢を見て本物のウォーリック伯を公衆の前に連れ出したものの、反乱軍はそちらが替え玉だと主張して6月にイングランドに上陸した。小競り合いを続けながら進軍し、北方からきたノーサンバーランド伯の軍を撃退したが、6月15日にストーク・フィールドで王軍と会戦した。数と装備で劣りながらも、ドイツ・スイス傭兵を中心に3時間余り奮戦したが敗北に終わり、リンカーン伯は戦死、ロベル卿は逃亡し、僭称者エドワード6世*8、シモンズなどは捕えられた。

*7 戴冠を聞いて、「奴らは次は猿を戴冠させるだろう」と嘲笑ったそうだ。
*8 僭称者エドワード6世は偽物であることを告白し、利用されただけの子供だったとして許され、ランバート・シムネルと名乗って王室の厨房の下働きとなり、後に鷹匠になったようだ。

ランバート・シムネルとパーキン・ウォーベック - 塔の王子の偽物たち(2)

これにより、旧ヨーク派の勢力は一掃されたのだが、1490年にブルゴーニュの宮廷に「塔の王子」ヨーク公リチャードを名乗る青年が現れた。彼は、兄エドワード5世は殺害されたが、自分は密かに救助されて大陸に逃れ、安全のため、これまで身分を隠してきたと述べ、ブルゴーニュ公妃マーガレットは、この主張を受け入れたようである*9。

*9 実際にヨーク家の顔立ちだったため信用したとも言われるが、ランバート・シムネルの場合と同様、ヨーク朝から簒奪したチューダー朝の安定を乱すのに利用できるとの打算によるものだろう。

この自称ヨーク公リチャードは1491年にアイルランドに現れ、ランバート・シムネルの時のような支持を期待したが、前回で懲りた為か支持者が集まらず、フランスに行きシャルル8世に受け入れられた。しかしイタリア遠征に備えて周辺国との和睦を望んだシャルル8世が1492年にイングランドとエタンプ条約を結んだため追放されたが、ハプスブルク家ではイングランド王位の正統な権利者として扱われ*10、1493年の皇帝フリードリヒ3世の葬儀ではイングランド王リチャード4世として出席している。

*10 ブルゴーニュ公妃マーガレットの孫であるハプスブルク家のフィリップ(美王)にはイングランド王位の継承権があり、両者の協定により僭称者リチャード4世はフィリップを王位の推定相続人としている。

1495年に僭称者リチャード4世はブルゴーニュの支援で若干の傭兵を連れてケント*11に上陸したが即座に追い払われ、再びアイルランドに逃れてデズモンド伯などの支持を得てウォーターフォードを攻めたが陥せず、スコットランドに亡命した。

*11 ワットタイラーの乱薔薇戦争を通して、ケントは民衆反乱や反乱勢力への支持が強い地域だった。

スコットランドではジェームズ4世に歓迎され、ハントリー伯の娘キャサリン・ゴードンを妻として与えられ、結婚式は盛大に祝われた。1496年9月にジェームズ4世は僭称者リチャード4世を連れてイングランドに侵攻したが、期待した支持は起きず、優勢なイングランド軍が近づいてくるのを聞いて、わずか10日余りで撤退した。

これに失望したジェームズ4世は、1497年にイングランドとの和平を選択し、僭称者リチャード4世は船と乗員を与えられて再びアイルランドに戻りウォーターフォードを攻めたが陥せず、9月にコーンウォールに上陸した。

コーンウォールではチューダー朝に対する反発は強く*12、前回の反乱が6月に鎮圧されたばかりだったが、正統な王リチャード4世を迎えて、かなりの人数が集まった。しかし、王の討伐軍が近づいてくると僭称者リチャード4世は逃げ出し(その後、逮捕)*13、戦闘もなく反乱は鎮圧された。

*12 チューダー朝は征服王朝として課税制度の改革を行っており、伝統的な免税特権を奪われていた。
*13 大軍での実戦経験が無かったのに加えて、粗末な装備の農民軍で勝てるはずが無いと思ったのだろう。

僭称者リチャード4世はネーデルラントの都市市民の子であるパーキン・ウォーベックだと自白し、ロンドン市内を引き回され公衆の前で偽者であることを告白させられたが、その後は宮廷での生活が許されていた*14。しかし、1499年に逃亡を図ったためロンドン塔に幽閉され、そこで一緒になったウォーリック伯エドワード(本物)*15と共に脱獄を図ったが捕えられて、11月に絞首刑となった。

*14 一応、各国の宮廷では本物と見做されていた為、処置を検討していたのだろう。
*15 ウォーリック伯もこの逃亡により処刑されている。ヘンリー7世はウォーリック伯がウォーベックに連れられて脱獄を図り処刑されることを期待したのかもしれない。

パーキン・ウォーベックの容姿はヨーク家の面影があり、ヨーク家の一員の非嫡出子*16である可能性が指摘されている。また少数ながら塔の王子リチャード本人であるとの説もある。

*16 父親に認知されていれば庶子として記録に残るが、認知されず世に知られない私生児も多かった。

パーキン・ウォーベックの時には旧ヨーク派は壊滅しており、当人が外国育ちで英語が下手だったこともあって支持が得られず、軍事的には、ほとんど問題にならなかったが、各国の宮廷がそれぞれの思惑で彼を扱ったため、政治的にはかなりチューダー朝を悩ませた。

フランスは、ヘンリー7世の即位を支援して友好関係にあるものの、王となれば伝統的な対フランス政策を取る可能性があり、僭称者を擁することにより百年戦争の再開を牽制することが目的だったが、シャルル8世はイタリア遠征を望んでイングランドと和睦したため、お払い箱となった。

ブルゴーニュ公妃マーガレットはチューダー家憎しだったかもしれないが、マーガレットを通してヨーク家の相続権を継承したハプスブルク家には、より冷徹な計算があっただろう。パーキン・ウォーベックにより再びイングランドで継承争いが起きればフィリップ(美王)の目もあり*17、可能性は高くないにしろ、結婚政策により領土を拡大してきたハプスブルク家としては当然の投資だった。

*17 仮にパーキン・ウォーベックが勝利しても、彼を偽物と証明するのは難しくはなく、少なくとも混戦に持ち込むことはできる。

スコットランドは伝統的に反イングランドだったが、フランスがイングランドと和睦したため心細くなっており、僭称者を保護することによりハプスブルク家の好意を期待していた。またスペインはカタリナ王女*18とイングランドの王太子アーサーとの婚姻による同盟を検討していたが、僭称者の存在により二の足を踏んでおり、スコットランドとしては彼を保護して同盟を遅らせたいとの考えもあった。

*18僭称者の件が終了した後にアーサーと結婚したが、まもなく死別し、ヘンリー8世と結婚して、後に離婚問題により英国国教会の誕生を促すことになった。

まあ、写真もDNA鑑定も無い時代であり、年恰好の似た者が、教育によりもっともらしい知識を示せば偽物と証明することは難しく、人々もそれ程、信じ易くはないが、利益があるなら信じた振りをする人間も多いということだろう。

最新

ページのトップへ戻る