ヘンリー8世と結婚問題

イングランド王ヘンリー8世といえば、6人の王妃を娶ったこと、離婚のために英国国教会を作ったことで有名であり、脂ぎった肥満体のイメージと併せて、稀代の好色家、大食漢と思われがちである。また、多くの臣下と妻を処刑しており、イングランド初の絶対君主として暴虐なイメージも残している。

本来、彼は有能なルネッサンス君主なのだが、薔薇戦争から生まれた正当性の怪しいテューダー朝を堅固にするために、陰謀を抑え王権を確立しなければならず、その一方で、ヨーロッパではイングランドの地位は地盤沈下しており、ハプスブルク・スペインやフランスに大きく水をあけられている現状に対する不満や焦りなどがストレスとなり、異常な残虐性や肥満につながったようだ。

さて、彼自身は精力絶倫だったかもしれないが、それと妃の数は関係ない。ルイ15世や陽気王と言われたチャールズ2世などのように愛人を多く持てば良いだけなのだ。

では、何故彼は、最初の王妃、スペイン王女カテリーナと離婚しなければならなかったのか?アン・ブーリンを溺愛したからだとか、彼女に強硬に願われたとも言われるが、一国の国王がそのような感情的な理由で結婚を取り扱うはずはない*1。

*1 それでは、面白くないため、物語ではロマンティックな要素で脚色するのである。

理由は、王妃には未だ女子のメアリー(1世、通称ブラッディ・メリー)しか生き延びた子供がおらず、既に何度も流産しているため新たな子供は難しいと判断したからだ。もう1つの理由としては、イングランドは当時、フランスとスペインの間のキャスティングボートの位置を狙っており、スペインとの繋がりを維持する価値がなくなっていたこともある(だからといって無理に離婚することもないが)。

ヨーロッパの結婚と相続制度は日本とは違う次のような特徴を持っている。

・原則、離婚はできず、相手が生きている限り、再婚はできない。
・嫡子にしか相続権はなく、嫡子がいなくとも庶子は相続できない。
・養子相続という制度がない。

つまり、正妻の子供しか相続できないにも係わらず、妻に子供ができなくても離婚ができないため、非常に困ったことになるのである。しかし、世の中には便法というものがあり、この場合は、婚姻の無効という制度がある。カトリックで決めた結婚の条件を満たしていない結婚は無効であり、最初から成立していないと解釈するのである。

婚姻の無効の理由として最も使われたのは血族結婚である。本来はカトリックでは禁止されているのだが、身分制社会では結婚は同等の身分で行われるのが基本であり、ヨーロッパの王侯は既にほとんどが親族となっているため、これを守っていては結婚相手がいなくなる。そこで、気がつかなかったことにして結婚し、離婚したい場合は、古い記録を調べて、血縁関係を示すのである。

また、交接がないことを理由にすることができる。結婚は交接によって完了するとされており、そのために交接の見届け人も存在した。実際にベッドの傍にいる場合もあったらしいが、概ねは形式的なもので、2人が同じ寝室で一夜を過ごすことで完了と看做した。そこで、子供がない場合は、実際は交接しておらず、結婚は完了していないと主張する訳である。しかし、これは女性にとっては、処女性が保たれて有利だが、男性にとっては、既に結婚して子供を作った経験がない場合、性的不能(インポ)や同性愛者(ホモ)と見なされて不名誉なことになりがちである。

ヘンリー8世とカテリーナの場合は、本来は血族結婚を主張できるのであるが、まずい事情がある。彼女は元々は、兄の王太子アーサーの妻であり、兄の前妻と結婚するには教会(王ともなると教皇)の特免が必要だった。

つまり、本来は無効なものを特免で許したのを、改めて無効とするのは、教皇、教会の権威に係わるのである。もっともそれだけなら、代償が高くなるだけで、最終的に婚姻の無効は可能だっただろうが、彼女は当時の神聖ローマ皇帝にしてスペイン王で世界の何割かの支配者カール5世の叔母にあたり、教皇は既に1527年のローマ略奪後に皇帝に屈服しており、その意向に逆らうことができなかった。

元々、ヘンリー8世は、教皇から「信仰の擁護者」と称されたように宗教には詳しく、この辺の不信感と苛立ちが、イングランド教会の独立につながっている。既に、国意識、民族意識が強くなり始めており、ローマ教皇が各国の教会の人事を左右することに、各国の教会は不満を持っており、また国王が中央集権化を進めるためには、教会の人事も手中に収める必要がある。もちろん、これは必ずしもカトリックから離れる必要はないのだが、プロテスタントが広がっている情勢においては、この選択の方が有利と考えたのであろう。

ヘンリー8世が1533年5月にイングランド教会の分離という強硬手段に訴えたのは、既にアン・ブーリンが妊娠していたからで、婚姻の無効が成立しないまま生まれれば庶子*2となってしまうからである。しかし、生まれた子は女子(エリザベス1世)であり、翌年、再び妊娠したが流産し、さらに翌年も妊娠し流産し、これが彼女の運命を決してしまった。2度流産が続けば、新たな子供が無事生まれる可能性はかなり低く、それよりも健康な女性と結婚した方が確率ははるかに高いのである。

*2 エリザベス1世の誕生は1533年9月であるが、生まれた時点で正式に結婚していれば、多少、計算が合わなくともなんとかなるもので、この場合は、既に秘密結婚していたことになっている。

しかし、英国国教会になっても離婚ができないことには変りはない。新教会も国王の言いなりと見られるのは不利であり、こう連続しては、簡単に婚姻の無効に応じない可能性がある。

そこでヘンリー8世は簡単な方法をとった。つまり、不倫などの大逆罪でアンを処刑してしまったのである。直後に結婚したジェーン・シーモアは思惑通り男子(エドワード6世)を産んだ。ヘンリーにすれば、狙い通りで、ジェーンがまもなく産褥で亡くなったのも、アンの処刑も気にならなかっただろう。

これで、一応、落ち着いたため、次のアン・オブ・クレーヴズとは、壮年の王として王妃が必要となった普通の結婚といって良い。しかし、結婚前に見た絵と違うとして、そのまま別居してしまった。これは、交接がないことを理由にした婚姻の無効だが、実際にそうだったかもしれない。直後にキャサリン・ハワードと結婚しているが、アン・オブ・クレーヴズの侍女だったのをそのまま見初めたようで、既に見境がなくなっている感がある。愛人でも良さそうなものだが、幼児死亡率が高いため、男子が1人では十分とはいえず、もし子供ができたらもったいないと感じたのだろう。キャサリンには以前からの恋人がいたのを多少強引に結婚したようで、キャサリンの不義密通は事実だろう。最後のキャサリン・パーは結婚時に31歳ということもあり、子作りよりは、教養のある妃として期待されたのであろう。彼女はヘンリー8世より長生きしている。

イングランドの場合、ノルマン・コンクエスト以来、王位の女系継承が何度か起きているのだが、いずれも戦争により勝者が王位を得ており、チューダー朝自身、薔薇戦争で勝ち残ったから王位を得たのである。チューダー家はランカスター系のボフォート家の女系を主張しているのだが、ボフォート家が創立時に相続権を持っていなかった弱みがある。女系継承はどうしても継承争いが起き易く、イングランドでは未だ女王がいなかったこともあり、新たな王位主張者が出てこないとは限らない。

また女系継承の場合、その夫となる男性の影響が生じることになる。中世では、領土は王侯領主の個人的所有物と考えられており、君主、臣下、民衆が別の言語を話していても不思議はなかったが、近世ともなると国の意識や民族意識が強くなっており、夫の出身の国家・民族が問題になる可能性がある。

正統性が怪しく、いまだ、安定したとは言い切れないテューダー朝としては、女系継承による混乱を避けるために、何としても男子が欲しかったのである(結果的には、そこまでして男子を作った意味はなかったのであるが・・)。

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