当時の海戦は船に乗り移って戦うのがメインだから、その戦闘力は乗組員の数で決まります。
鄭和の艦隊は、船は長さ44丈(約137m)、幅18丈(約56m)という巨艦で、船団は62隻、総乗組員は2万7800名余りとのことで、最初から戦う気がしなくなる程の大軍です。
大きさだけなら、ジェノバやベネチアに匹敵する船もあったかも知れませんが、このサイズの物が62隻集まった艦隊は他にないでしょう。
図は模型でコロンブスの船と大きさを比較しています。
ここでは某質問サイトの世界史ジャンルで回答したものを掲載しています。
著作権に配慮して質問部分(Q)は、簡潔に書き直しています。元の質問を見たい場合はこちらへ
鄭和の遠征の艦隊としての戦闘力や輸送能力は世界一だったのでしょうか?
オスマン帝国の存在に欧州人達は恐怖を感じていた?
通常、レパントの海戦などオスマン帝国との戦いを描いたものでは、小説はもちろん歴史書でも、キリスト教世界と非常に敵対し、欧州人は恐怖を感じていたと書かれがちですが、それは多分にイスラム教を非常に嫌い恐れて常に十字軍を叫んでいたローマ教皇とオスマン帝国と直接対決を余儀なくされたハプスブルク家の神聖ローマ皇帝の観点に基づいたものです。
フランスは対ハプスブルクとしてオスマン帝国と同盟することが多かったし、スペイン、ポルトガルは新大陸やインド・アジア貿易で大きな利益を上げ始めていたため、実際のところ西欧にはそれほどの危機感はなかったようです。
フランスは対ハプスブルクとしてオスマン帝国と同盟することが多かったし、スペイン、ポルトガルは新大陸やインド・アジア貿易で大きな利益を上げ始めていたため、実際のところ西欧にはそれほどの危機感はなかったようです。
モンゴル帝国のヨーロッパ侵攻で、欧州の騎士団は歯が立たなかったのでしょうか?
モンゴル軍が当時、最強だったのは間違いないでしょう。
モンゴルの強さの理由には次のようなものが挙げられます。
1. 遊牧民族で当時の主力兵器である騎兵が質と量ともに圧倒的に高い。
2. 戦術が非常に上手い。狩りなどの戦術と騎兵の技術・機動力を活かし、臨機応変に様々が戦法をとれる。一方、中世の騎士は装甲の強さを頼りに突撃して近接戦闘に持ち込むという単純な戦法が中心で、戦術をあまり工夫しない。
3. 中国やイスラムの技術(火薬、投石器)を取り入れ、騎兵戦術と組み合わせた。これは近世の砲撃のような効果を挙げている。
しかし、リーグニッツではポーランドが寄せ集めの連合軍だったのが大きいです。
封建軍では封建君主が指揮しない軍はその性格上かなり弱いですが、当時のポーランドには王がおらず、シロンスク公は最有力とはいえ、他の公やドイツ騎士団などに対する命令権はなく、モンゴルの威力偵察、牽制に過ぎない一部隊に完敗しています。
一方、モヒの戦いでは、モンゴル軍は主力であり、ハンガリーも王が指揮して、それなりの激戦でしたが、力負けした形です。
しかし、ポーランドもハンガリーも騎士による戦いという面ではフランス、ドイツと比べれば2線級であり、フランス、ドイツが有能な王の下で一致して、地形を考慮して戦えば、そう簡単には負けないと思います。
モンゴルの強さの理由には次のようなものが挙げられます。
1. 遊牧民族で当時の主力兵器である騎兵が質と量ともに圧倒的に高い。
2. 戦術が非常に上手い。狩りなどの戦術と騎兵の技術・機動力を活かし、臨機応変に様々が戦法をとれる。一方、中世の騎士は装甲の強さを頼りに突撃して近接戦闘に持ち込むという単純な戦法が中心で、戦術をあまり工夫しない。
3. 中国やイスラムの技術(火薬、投石器)を取り入れ、騎兵戦術と組み合わせた。これは近世の砲撃のような効果を挙げている。
しかし、リーグニッツではポーランドが寄せ集めの連合軍だったのが大きいです。
封建軍では封建君主が指揮しない軍はその性格上かなり弱いですが、当時のポーランドには王がおらず、シロンスク公は最有力とはいえ、他の公やドイツ騎士団などに対する命令権はなく、モンゴルの威力偵察、牽制に過ぎない一部隊に完敗しています。
一方、モヒの戦いでは、モンゴル軍は主力であり、ハンガリーも王が指揮して、それなりの激戦でしたが、力負けした形です。
しかし、ポーランドもハンガリーも騎士による戦いという面ではフランス、ドイツと比べれば2線級であり、フランス、ドイツが有能な王の下で一致して、地形を考慮して戦えば、そう簡単には負けないと思います。
イスラム教とユダヤ教とキリスト教の繋がりや関係などを簡単に教えてください。
ごくごく簡単にいうと、
唯一神、モーゼなどの預言者が伝える神の言葉、それをまとめた旧約聖書を信じるのがユダヤ教。その中で発生した救世主(メシア)思想では、いつか救世主が現れ、地上に(ユダヤのための)神の王国を作るとされた。
その救世主がイエスで、同時に神の子であり、人類の原罪を贖うために十字架に磔けになったと信じるのがキリスト教。それを新たな神との契約(新約)として、イエスの事績を伝えるのが新約聖書。
預言者が神の言葉を伝え、イエスも預言者の1人であるが、最後にして最大の預言者がマホメット(ムハマド)と信じるのがイスラム教。神の言葉を直接、マホメットが書き留めたものがコーラン。
唯一神、モーゼなどの預言者が伝える神の言葉、それをまとめた旧約聖書を信じるのがユダヤ教。その中で発生した救世主(メシア)思想では、いつか救世主が現れ、地上に(ユダヤのための)神の王国を作るとされた。
その救世主がイエスで、同時に神の子であり、人類の原罪を贖うために十字架に磔けになったと信じるのがキリスト教。それを新たな神との契約(新約)として、イエスの事績を伝えるのが新約聖書。
預言者が神の言葉を伝え、イエスも預言者の1人であるが、最後にして最大の預言者がマホメット(ムハマド)と信じるのがイスラム教。神の言葉を直接、マホメットが書き留めたものがコーラン。
資産家の家には動物の剥製を飾っているのを良くみますが、あれは相当凄い事なんですよね?
日本では熊や虎は敷皮とされて、金持ちが持っていることがありますね。
現代では、どうなのか良く分かりませんが、第二次大戦前ぐらいなら、西洋では、当人が実際に狩猟したトロフィー(戦利品)として飾ることが良くありました。よく書斎から、動物の首がはえている奴ですね。あれは、遠方まで行って猟を行えるという経済力と特に虎やライオンなどの猛獣の場合は、それと戦って勝ったという勇気(まあ、他の人が9割がたやった後、止めを刺すだけだったりしますが)を誇るためです。
現代では、どうなのか良く分かりませんが、第二次大戦前ぐらいなら、西洋では、当人が実際に狩猟したトロフィー(戦利品)として飾ることが良くありました。よく書斎から、動物の首がはえている奴ですね。あれは、遠方まで行って猟を行えるという経済力と特に虎やライオンなどの猛獣の場合は、それと戦って勝ったという勇気(まあ、他の人が9割がたやった後、止めを刺すだけだったりしますが)を誇るためです。
お姫様と騎士が結ばれるみたいなのって実際ありえる話だったのですか?
レーモン・ド・ポワティエよりその後釜のルノー・ド・シャティヨンの方が近いかな。
基本的には結婚は同等クラスとしますが、中世だと常時戦争のある流動的な状況が多いから、個人的武勇を買われて一介の騎士クラスがプリンス(君主)クラスと結婚することはあります。十字軍国家に多かったし、ルネッサンス期のイタリアもスフォルツアなどの成り上がりのコンドッティエーレが小国家の公女と結婚することは良くありました。
基本的には結婚は同等クラスとしますが、中世だと常時戦争のある流動的な状況が多いから、個人的武勇を買われて一介の騎士クラスがプリンス(君主)クラスと結婚することはあります。十字軍国家に多かったし、ルネッサンス期のイタリアもスフォルツアなどの成り上がりのコンドッティエーレが小国家の公女と結婚することは良くありました。
征服地と植民市の違いは?
征服地は現地人をその支配下に入れたもの、植民市は人が住んでいないか、現地人を追い払った地に作る植民者中心の都市。
ただし、帝国主義時代の所謂、植民地はまた別。
ただし、帝国主義時代の所謂、植民地はまた別。
第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国の領土があそこまで割譲されたことに対し、オーストリアでは政府に抗議しなかったのですか?
ハプスブルク家の下で色々集めていただけで、オーストリアの国土は元々あんなものです。ハプスブルク家が退位して民族国家となったため、新政府は、同じ民族としてドイツと合併しても良いと思っていたのです。
一方、ハンガリーは非常に深刻で、固有の領土ともいえる聖イシュトヴァーン王冠の地を半分以上奪われて非常に不満が強かった。そのため右傾化が進み、ナチス・ドイツと協力するようになります。
一方、ハンガリーは非常に深刻で、固有の領土ともいえる聖イシュトヴァーン王冠の地を半分以上奪われて非常に不満が強かった。そのため右傾化が進み、ナチス・ドイツと協力するようになります。
イギリスでは無神論者が日本より多いときいたんですが、なぜ、そうなったのですか?
無神論というのは、神がいないことを信じる考え方で、無宗教や不可知論とは違うのです。
調査はアンケートによることが多いですから、聞き方次第で該当数は変わってくると思いますが、英語版Wikipediaでは無神論者は、
イタリア (7%), スペイン (11%), イギリス (17%), ドイツ(20%), フランス (32%)で、
イギリスだけが高いわけではありません。フランスが高いのが少し意外ですが、フランスの宗教離れはかなり深刻だというのは聞いたことがあります。かって熱心だった人ほど、幻滅した時、無神論者になり易いというのはあります。
日本人や多神教的人々は、その辺が曖昧で、初詣で神社に行き、神式や教会で結婚式を挙げ、交通安全の御守りを持ち、寺で葬式をしますから、無神論の人はほとんどいないと見なされるでしょう。
明確な宗教を持っていないということであれば、日本は65%で、30-50%のイギリス、ドイツ、フランスと比べて、高いと言えます。
また、日本人が欧米人の代表と看做しがちな米国は10%以下で、先進国の中では例外的に宗教が盛んな国です。
調査はアンケートによることが多いですから、聞き方次第で該当数は変わってくると思いますが、英語版Wikipediaでは無神論者は、
イタリア (7%), スペイン (11%), イギリス (17%), ドイツ(20%), フランス (32%)で、
イギリスだけが高いわけではありません。フランスが高いのが少し意外ですが、フランスの宗教離れはかなり深刻だというのは聞いたことがあります。かって熱心だった人ほど、幻滅した時、無神論者になり易いというのはあります。
日本人や多神教的人々は、その辺が曖昧で、初詣で神社に行き、神式や教会で結婚式を挙げ、交通安全の御守りを持ち、寺で葬式をしますから、無神論の人はほとんどいないと見なされるでしょう。
明確な宗教を持っていないということであれば、日本は65%で、30-50%のイギリス、ドイツ、フランスと比べて、高いと言えます。
また、日本人が欧米人の代表と看做しがちな米国は10%以下で、先進国の中では例外的に宗教が盛んな国です。
ヴィクトリア朝の准男爵の生活水準は貴族並みだったということでしょうか?
近世では爵位と財産は比例しないのです。とんでもない大地主もいれば、借金だらけで首の回らない人もいました。
特に準男爵は王の資金集めのために創出された爵位ですので、お金で購入した人が多いのです。従って、準男爵には裕福な人が多いということになります。
特に準男爵は王の資金集めのために創出された爵位ですので、お金で購入した人が多いのです。従って、準男爵には裕福な人が多いということになります。
なぜインドは中国のように統一された状態にならなかったのでしょうか?
むしろ何故、中国で統一王朝が続いたのかが不思議です。
ヨーロッパも中東も何度か統一国家(に近い)ものができていますが、やがて分裂し、現在も分裂したままです。
中華思想、科挙制度による官僚制などが理由として考えられます。
ヨーロッパも中東も何度か統一国家(に近い)ものができていますが、やがて分裂し、現在も分裂したままです。
中華思想、科挙制度による官僚制などが理由として考えられます。
古代、中世に「君臨すれども統治せず」の国はありましたか?
まあ、現代的な立憲君主制、議会制による君主制が古代、中世にあったかと聞いているのだと思いますが、古代、中世であれば、統治しないなら、必要ないじゃんとなるのが普通だと思います。
あえて考察してみると、
まず、内戦、分裂・割拠状態の国の君主は統治してないことは確かだが、そういう状態で君臨(reign)していると言っていいのか?という問題があります。
それを除くと、実権を失い飾り(フィギュアヘッド)になった君主が該当するでしょう。とすると、
後期のアッバース朝のカリフ、末期のメロヴィング朝の王、関白・幕府・治天の君が存在する時の天皇、大空位以降の神聖ローマ皇帝、秦の2世皇帝、その他、宦官、外戚などに操られた禅譲させられる前の中華皇帝。
あたりが該当するのではないでしょうか。
ちなみに、「鼓腹撃壌」は「良い統治は空気や水のようなもので、有る時は気づかないが、失くして初めてその価値に気づく」の例だろうと思います。
あえて考察してみると、
まず、内戦、分裂・割拠状態の国の君主は統治してないことは確かだが、そういう状態で君臨(reign)していると言っていいのか?という問題があります。
それを除くと、実権を失い飾り(フィギュアヘッド)になった君主が該当するでしょう。とすると、
後期のアッバース朝のカリフ、末期のメロヴィング朝の王、関白・幕府・治天の君が存在する時の天皇、大空位以降の神聖ローマ皇帝、秦の2世皇帝、その他、宦官、外戚などに操られた禅譲させられる前の中華皇帝。
あたりが該当するのではないでしょうか。
ちなみに、「鼓腹撃壌」は「良い統治は空気や水のようなもので、有る時は気づかないが、失くして初めてその価値に気づく」の例だろうと思います。
ヨーロッパ諸国では、どうやって後継者を確保していたのでしょうか?
ヨーロッパの結婚と相続制度は日本とは違う次のような特徴を持っています。
・原則、離婚はできず、相手が生きている限り、再婚はできない。
・嫡子にしか相続権はなく、嫡子がいなくとも庶子は相続できない。
・養子相続という制度がない。
だから、大奥やハーレムのような手が使えないため、跡継ぎができないとヘンリー8世のように婚姻の無効や処刑を繰返さなければならないのです(まあ、6度の結婚は珍しいですが)。歴史の表にはでてきませんが、子供ができないために殺されたと疑われる女性は結構います。
・原則、離婚はできず、相手が生きている限り、再婚はできない。
・嫡子にしか相続権はなく、嫡子がいなくとも庶子は相続できない。
・養子相続という制度がない。
だから、大奥やハーレムのような手が使えないため、跡継ぎができないとヘンリー8世のように婚姻の無効や処刑を繰返さなければならないのです(まあ、6度の結婚は珍しいですが)。歴史の表にはでてきませんが、子供ができないために殺されたと疑われる女性は結構います。
戦争で、敵の捕虜になった後、味方との戦闘を強要されることはあったのですか?
1899年のハーグ陸戦協定などで捕虜の取扱が国際法として決められているため、第2次大戦で強制されることはありません。
それ以前なら、しばしばありますね。ただ、近世以前の場合、味方の概念が狭い(自分たちの集団だけ)から、現在、付いている方が味方だともいえますが。
それ以前なら、しばしばありますね。ただ、近世以前の場合、味方の概念が狭い(自分たちの集団だけ)から、現在、付いている方が味方だともいえますが。
第二回、第三回十字軍はなぜ成功しなかったのですか?
第2回十字軍の失敗の理由は、
1. エルサレムが健在で、十字軍の目的が明確でなかった
2. ビザンティンが非協力的(というかセルジューク側と通じていた)で道案内をしなかった
3. 2人の王があまり有能ではなかった。
第3回十字軍は失敗だとは思いませんが、エルサレムを奪えなかった理由は、
1. 有能なサラディンの元にエジプト、パレスチナ、シリアが統一されていた。
2. フリードリヒ1世バルバロッサが溺死し、リチャード獅子心王がフィリップ2世やオーストリア公と喧嘩して彼1人になり兵力不足となった。
3. 現地勢力がほとんど壊滅しており、必要な資材・兵力を得られなかった。
そのため、以降は、アイユーブ朝の本拠地であるエジプトをまず攻略することが目標となったのです。
1. エルサレムが健在で、十字軍の目的が明確でなかった
2. ビザンティンが非協力的(というかセルジューク側と通じていた)で道案内をしなかった
3. 2人の王があまり有能ではなかった。
第3回十字軍は失敗だとは思いませんが、エルサレムを奪えなかった理由は、
1. 有能なサラディンの元にエジプト、パレスチナ、シリアが統一されていた。
2. フリードリヒ1世バルバロッサが溺死し、リチャード獅子心王がフィリップ2世やオーストリア公と喧嘩して彼1人になり兵力不足となった。
3. 現地勢力がほとんど壊滅しており、必要な資材・兵力を得られなかった。
そのため、以降は、アイユーブ朝の本拠地であるエジプトをまず攻略することが目標となったのです。
劉備は死の間際に諸葛亮に対して「劉禅が無能なら代わりに皇帝となれ」と言った理由は?
殺すなってことでしょう。死の枕でどんなに頼んでも先のことは分からないが(どこかの狸親父に頼んだように)、こう言っておけば、両者ともに禅譲の形にし易いでしょうし。禅譲なら劉備の血統は後世に残り、社稷を絶やさずに済むから。
異文化との最初の出会いの際に当時の人々はどのようにコミュニケーションをとったのですか?
旧世界ではいくつかの言語を介することで、何とか意思疎通できることが多いです。
ポルトガルと日本では、間に中国人が入ることで、漢文の筆談ができたはずですし、アフリカではアラブと交易がありましたからアラビア語を介することで可能でした。一旦、繋がりができれば、双方に言語を覚える人間が出てくるのでスムースになります。
コロンブスが行った新大陸では、全くのジェスチャだけですが、意外に、簡単な意思疎通はできたようです。例えば、金製品や香辛料を見せて、これを持っていないか?ある場所を知らないか?とか。食べ物や水をくれとか。これと交換しないかとか。
で、最初についた島の人間をずっと連れており、その間にも少し相互に言葉を覚えたようだし、彼らを十数人連れて帰ったため、後には彼らを介して互いに言葉を覚えたようです。
ポルトガルと日本では、間に中国人が入ることで、漢文の筆談ができたはずですし、アフリカではアラブと交易がありましたからアラビア語を介することで可能でした。一旦、繋がりができれば、双方に言語を覚える人間が出てくるのでスムースになります。
コロンブスが行った新大陸では、全くのジェスチャだけですが、意外に、簡単な意思疎通はできたようです。例えば、金製品や香辛料を見せて、これを持っていないか?ある場所を知らないか?とか。食べ物や水をくれとか。これと交換しないかとか。
で、最初についた島の人間をずっと連れており、その間にも少し相互に言葉を覚えたようだし、彼らを十数人連れて帰ったため、後には彼らを介して互いに言葉を覚えたようです。
ローマ帝国の正統後継者の国ってどこですか?
ルーマニアに決まっているでしょう (^_^)ニ。
今でもローマを名乗っているのはこの国だけです。
今でもローマを名乗っているのはこの国だけです。
主要な文明はどのようにして塩を確保していたのでしょうか?
四大文明は黄河以外は海を確保しています。
また、大河は海に続く流通の基本で、船で大量に運搬できるため、かっては道路を作り維持しなければならない陸路よりも交通の中心であることが多かったのです。だから大河の傍に文明が発達するのです(農耕地帯が広がっていることが、もう1つの理由です)。
従って、海から運ぶことができます。地域によっては岩塩を得られる場所もあるでしょう。文明があるなら交易は盛んなはずであり、交易が盛んだから文明になったはずです。
また、大河は海に続く流通の基本で、船で大量に運搬できるため、かっては道路を作り維持しなければならない陸路よりも交通の中心であることが多かったのです。だから大河の傍に文明が発達するのです(農耕地帯が広がっていることが、もう1つの理由です)。
従って、海から運ぶことができます。地域によっては岩塩を得られる場所もあるでしょう。文明があるなら交易は盛んなはずであり、交易が盛んだから文明になったはずです。
アラブ世界では残酷刑が多いですが宗教や国民性のせいでしょうか?
昔はどこでも、単に殺すのはむしろ慈悲で、釜茹で、車裂き、火炙り、四つ裂きなど残酷に苦しめ、見せしめとなるように刑罰を工夫しました。
先進国では近代化と共に廃止されましたが、イスラム系の国家ではコーランで定めた刑罰が残っているのです。
先進国では近代化と共に廃止されましたが、イスラム系の国家ではコーランで定めた刑罰が残っているのです。
メディチ家などの都市国家の有力者は、何故、ルネサンスのパトロンになったのですか?
音楽が好きな人は音楽家のパトロンになり、絵の好きな人は画家のパトロンになり、定期的にお金を出す代わりに作品を作ってもらいます。よく作品に~に捧げるというのが有りますが、これは元々パトロンに捧げたものです。1作単位で金を払うのではなく、中・長期契約みたいなものです。
もう1つは見栄で、愛犬家がコンテストで優勝した犬を誇ったり、江戸時代の大名が相撲取りを抱えたりするのと同じで、自分がパトロンになっている芸術家、文化人の評判が高ければ、自分も鼻が高く自慢できるというわけです。
もう1つは見栄で、愛犬家がコンテストで優勝した犬を誇ったり、江戸時代の大名が相撲取りを抱えたりするのと同じで、自分がパトロンになっている芸術家、文化人の評判が高ければ、自分も鼻が高く自慢できるというわけです。
アイスマンはどうやって火を使っていたのですか
ホクチ(火口)の原料となる「さるのこしかけ」の1種のキノコや乾燥した植物類、火打石、黄鉄鉱などを持っていたということで、火打石と黄鉄鉱で火花を散らし、キノコや植物類に火をつけ種火としたようです。
子供を引き取った親戚が財産を横領して子供に理不尽な対応をすることは多かった?
親族間の財産争いは、現実の歴史でも非常に多くありました。特に直系の幼い子供たちとその叔父との継承争いは歴史の定番と言っても良いです。
もちろん、ケースバイケースで、仲良く、親切に、正直に、後見をする親族も多かったでしょう。
しかし、人間というものは、自分や自分の子供の方が可愛いものですから、何らかの形で横領しようとすることも多い訳です。また、叔父にしてみれば、ちょっとの生まれる早さの差で相続財産に大きな差をつけられる理不尽さへの不満といったものがあります。
法よりも実力が重視される時代ならもちろんのこと、法治社会でも色々やりようはあります。不動産など登記されているものは難しいですが、財産を利用することで私財を蓄えることも可能ですし、動産(現金、貴金属、宝石、骨董品、美術品)なら誤魔化しようがあります。まあ、物語のようには、露骨にやらないでしょうが。
当然、子供たちが成人した後、取り返そうとしたり、復讐することはあります。平将門の乱や曾我兄弟の父を工藤祐経が殺したのも、そんな例です。
やり方がまずく違法であれば罰せられるでしょうが、当然、罰せられないように上手く工夫するでしょう。
もちろん、ケースバイケースで、仲良く、親切に、正直に、後見をする親族も多かったでしょう。
しかし、人間というものは、自分や自分の子供の方が可愛いものですから、何らかの形で横領しようとすることも多い訳です。また、叔父にしてみれば、ちょっとの生まれる早さの差で相続財産に大きな差をつけられる理不尽さへの不満といったものがあります。
法よりも実力が重視される時代ならもちろんのこと、法治社会でも色々やりようはあります。不動産など登記されているものは難しいですが、財産を利用することで私財を蓄えることも可能ですし、動産(現金、貴金属、宝石、骨董品、美術品)なら誤魔化しようがあります。まあ、物語のようには、露骨にやらないでしょうが。
当然、子供たちが成人した後、取り返そうとしたり、復讐することはあります。平将門の乱や曾我兄弟の父を工藤祐経が殺したのも、そんな例です。
やり方がまずく違法であれば罰せられるでしょうが、当然、罰せられないように上手く工夫するでしょう。
クーデンホフ カレルギー伯爵は二男であるのになぜ伯爵と呼ばれるのでしょうか。
ドイツ圏の貴族は家伝来の称号を嫡出男子全員が受け継ぐそうです。
元々、大陸では貴族の嫡出子孫は貴族なのです。
リヒャルトさんも家名にGrafが付いていますから、そういうことでしょう。
中世では領地と称号は1セットだったのですが、近世には封建制が衰退して、領地とは別に称号が与えられるようになったためでしょう。
帝政が終わった後も第二次世界大戦までは、貴族の称号は残りました。
第二次世界大戦後、オーストリアでは貴族の称号は禁止されています。
元々、大陸では貴族の嫡出子孫は貴族なのです。
リヒャルトさんも家名にGrafが付いていますから、そういうことでしょう。
中世では領地と称号は1セットだったのですが、近世には封建制が衰退して、領地とは別に称号が与えられるようになったためでしょう。
帝政が終わった後も第二次世界大戦までは、貴族の称号は残りました。
第二次世界大戦後、オーストリアでは貴族の称号は禁止されています。
任侠とマフィアって似てますか?
任侠を本来の意味で言っているとして、シチリアマフィアは、伝説的には、民衆の顔役として権力に抵抗したという性質があります。
しかし、実際はそれは美化で、封建的領主・地主と農民の間で甘い汁を吸っていた人々と言っていいでしょう。
ゴッドファーザーでは、ドン・ヴィトーはまさに任侠の徒ですが、息子のマイケルは仁も侠も失った、冷酷なビジネスライクな人間として描かれています。作者は、時代と共に変化したとしていますが、任侠映画と同じく、ドン・ヴィトーはマフィアの理想化された姿でしょう。
しかし、実際はそれは美化で、封建的領主・地主と農民の間で甘い汁を吸っていた人々と言っていいでしょう。
ゴッドファーザーでは、ドン・ヴィトーはまさに任侠の徒ですが、息子のマイケルは仁も侠も失った、冷酷なビジネスライクな人間として描かれています。作者は、時代と共に変化したとしていますが、任侠映画と同じく、ドン・ヴィトーはマフィアの理想化された姿でしょう。
世界初の差別は一体いつ始まったんでしょうか。
世界初の差別を考えるより、人間はいつから「平等であるべき」だとされるようになったのだろうかと考えてみてください。
フランス革命で自由、平等、友愛が3つの価値として上げられています。啓蒙思想で生まれた考えで、政治的指針として示されたのは、アメリカ独立とフランス革命あたりでしょう。
フランス革命で自由、平等、友愛が3つの価値として上げられています。啓蒙思想で生まれた考えで、政治的指針として示されたのは、アメリカ独立とフランス革命あたりでしょう。
よくアメリカは「自由の国」といいますが、具体的に何が自由なんでしょうか?
自由という概念が日本にはなかったため、判りづらいんですよね。何の自由?と聞いている時点で、本来の欧米語における自由を理解していないんだろうと思います。
Wikipediaが結構上手く書いてあるから引用すると「他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うこと」「社会的・政治的に制約されていない」「特権を意味する語であった」「民衆の持ちえない権利を有している状態」。
まさに米国でしょう(ここは半分、冗談です)。
個人に当てはめると、従属民の対語が自由民で、主権国家のように、他者に強制されず、自分の意志で行動できる権利を持っていますが、さすがに近代国家においては、各人の自由が対立した時は、私戦ではなく、裁判で決着をつけます。法には従いますが、民主国家では法を決めるのは個人の意志の集合です。選挙という形で戦って勝った法案が通る訳です。
現代の民主国家は大なり小なり自由の国ですが、米国はそれを最も最初に体現した国であり、裁判や選挙が盛んなことや、抵抗権や自衛権の観点から銃を持つ自由が強調されるところなどに表れています。
Wikipediaが結構上手く書いてあるから引用すると「他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うこと」「社会的・政治的に制約されていない」「特権を意味する語であった」「民衆の持ちえない権利を有している状態」。
まさに米国でしょう(ここは半分、冗談です)。
個人に当てはめると、従属民の対語が自由民で、主権国家のように、他者に強制されず、自分の意志で行動できる権利を持っていますが、さすがに近代国家においては、各人の自由が対立した時は、私戦ではなく、裁判で決着をつけます。法には従いますが、民主国家では法を決めるのは個人の意志の集合です。選挙という形で戦って勝った法案が通る訳です。
現代の民主国家は大なり小なり自由の国ですが、米国はそれを最も最初に体現した国であり、裁判や選挙が盛んなことや、抵抗権や自衛権の観点から銃を持つ自由が強調されるところなどに表れています。
やくざと暴力団と任侠の違いを教えてください
やくざは博打打ちの蔑称で、カブの893でブタになるように、世の役に立たないという意味です。
暴力団は、博徒やテキ屋などの稼業をひっくるめて組織暴力を振るう団体の総称として比較的、近年付けられた名称です。
侠、侠客、遊侠は元々、中国で民衆の顔役として、しばしば権力に抵抗した人々のことで、これに儒教の徳である仁を付けたのが仁侠で、日本では江戸時代に町奴や地域の顔役が、芝居などで仁義を重んじる人々として美化され、美称として任侠の徒と呼ばれるようになったものです。
暴力団は、博徒やテキ屋などの稼業をひっくるめて組織暴力を振るう団体の総称として比較的、近年付けられた名称です。
侠、侠客、遊侠は元々、中国で民衆の顔役として、しばしば権力に抵抗した人々のことで、これに儒教の徳である仁を付けたのが仁侠で、日本では江戸時代に町奴や地域の顔役が、芝居などで仁義を重んじる人々として美化され、美称として任侠の徒と呼ばれるようになったものです。
イギリスとフランスの身分制議会の違い、あるいは同じ部分を教えてください
フランスの三部会は、第1身分(祈る人)、第2身分(戦う人)、第3身分(働く人)で分かれているのに対して、イングランド議会は、第1身分と第2身分の領主階級が合わせて貴族院を構成し、騎士と都市市民が平民院を構成していました。
フランスでは、王が必要と感じた時に召集する王の諮問機関的性格が強く、長期間、開かれないことも多かったですが、イングランドにおいては議会は必要不可欠なものとなり、重要な懸案には議会の承認が必要でした。
フランスでは、王が必要と感じた時に召集する王の諮問機関的性格が強く、長期間、開かれないことも多かったですが、イングランドにおいては議会は必要不可欠なものとなり、重要な懸案には議会の承認が必要でした。
組織の内部分裂を防ぐにはその組織の構成員各々を互いに敵対させるのが有効ですか?
質問の補足:組織の中でボスの地位を脅かす程の派閥ができてしまうのを防ぐ方法を教えて下さい
それじゃ内部分裂しちゃうでしょう。
構成員各々を互いに敵対させるのは、ボスの脅威となるような有力な配下を出さないためのものです。
内部分裂を防ぐには強力な外敵の設定、共通のイデオロギーや文化、伝統の強調などですね。
補足:
それなら、幹部が協力して反抗しないように不和にするのは基本ですね。しかし、あまり仲が悪いと、協力すべき時に足並みが揃わなかったり、ましてや内戦になったり、敵に寝返る者が出たりするから、競争意識を強く持たせるくらいに抑える必要もあります。抜きん出た存在が出ないように幹部の力関係のバランスを取ることも大事です。
もう1つは組織をできるだけフラットにし、幹部はスタッフ的な存在にして、恒久的な部下を与えないことです。
むろん、こういうやり方は功罪があります。構成員の仲が良い方が組織が上手く機能するし、幹部に権限を与えた方がモチベーションが上がり能力も発揮し易いからです。
それじゃ内部分裂しちゃうでしょう。
構成員各々を互いに敵対させるのは、ボスの脅威となるような有力な配下を出さないためのものです。
内部分裂を防ぐには強力な外敵の設定、共通のイデオロギーや文化、伝統の強調などですね。
補足:
それなら、幹部が協力して反抗しないように不和にするのは基本ですね。しかし、あまり仲が悪いと、協力すべき時に足並みが揃わなかったり、ましてや内戦になったり、敵に寝返る者が出たりするから、競争意識を強く持たせるくらいに抑える必要もあります。抜きん出た存在が出ないように幹部の力関係のバランスを取ることも大事です。
もう1つは組織をできるだけフラットにし、幹部はスタッフ的な存在にして、恒久的な部下を与えないことです。
むろん、こういうやり方は功罪があります。構成員の仲が良い方が組織が上手く機能するし、幹部に権限を与えた方がモチベーションが上がり能力も発揮し易いからです。
中世のヨーロッパの王女や王妃など身分の高い女性は、普段何をして過ごしていたのですか?
一般的に中世の女性は忙しいです。
身分の高い女性なら夫が戦争している時には代理で領地の管理も行いますし、平時でも教会関係の活動や社交などがあります。
身分の高い娘は早いうちに結婚します。だから娘時代というのは、あまりないのですね。子供時代からいきなり妻になる訳です。
中世の娯楽としては、吟遊詩人や道化師・芸人などがいたり、呼んだりします。チェス、バックギャモン、カードなどもしますし、宮廷愛なども遊びです。中世末期にはダンスも盛んになっていますね。
身分の高い女性なら夫が戦争している時には代理で領地の管理も行いますし、平時でも教会関係の活動や社交などがあります。
身分の高い娘は早いうちに結婚します。だから娘時代というのは、あまりないのですね。子供時代からいきなり妻になる訳です。
中世の娯楽としては、吟遊詩人や道化師・芸人などがいたり、呼んだりします。チェス、バックギャモン、カードなどもしますし、宮廷愛なども遊びです。中世末期にはダンスも盛んになっていますね。
ルターの考え方が協会や修道院をこえてさまざまな社会層に受け入れられたのはなぜですか?
1つはカトリックが中世の習慣・考え方を代表するもので時代に合わなくなっていたこと。カトリックも時代に合わせてゆっくりと変わってはいるが、ルネサンス以降の社会変化の方がはるかに速かった。
もう1つは、神聖ローマ帝国では、かってとは違い、教皇と皇帝が組んで権力回復を計っていたのに対して、帝国諸侯はその束縛から離れてより大きな自由を得たかった。英国国教会の場合と同じ理由です。
もう1つは、神聖ローマ帝国では、かってとは違い、教皇と皇帝が組んで権力回復を計っていたのに対して、帝国諸侯はその束縛から離れてより大きな自由を得たかった。英国国教会の場合と同じ理由です。
スイスの永世中立国という概念はどこから来たんですか?あとスイスは何民族なんですか?
各国に傭兵を提供する国として、中立である必要があったのです。
それ以前からその方針だったのですが、1648年のウェストファリア条約の時にあらためて確認されています。
スイスは、主にフランス、ドイツ、イタリア人で構成されています。
それ以前からその方針だったのですが、1648年のウェストファリア条約の時にあらためて確認されています。
スイスは、主にフランス、ドイツ、イタリア人で構成されています。
世界史上におけるイギリスの意味 なぜイギリスは小国ながら強大化できたのか?
まず、ノルマンコンクエスト以来、少なくともイングランドの王や貴族には小国意識がないこと。小国だからこんなものとは思わずに、フランスを失えば、どこかで埋め合わせしようという意識・向上心が常にあった。
もう1つは議会制が上手く機能したこと。王や王朝が代わる度に方針がコロコロ代わるより安定した政策を打ち出し易い。頭は1つより多い方が良い。
もう1つは議会制が上手く機能したこと。王や王朝が代わる度に方針がコロコロ代わるより安定した政策を打ち出し易い。頭は1つより多い方が良い。
海外で神父など神職に就いても戦争で戦い続けた人物っているのですか?
ヨーロッパの司教、司祭は同時に封建領主でもあり、また彼らは騎士・貴族の次男以下がなることが多かったため、中世盛期あたりまでは普通に戦場で戦っていました。ただし、血を流させることはまずいとして、主に鈍器系の武器(メイスなど)を使っていました。
その後は、聖職者が戦うのは良くないとされ、十字軍などの聖戦以外は、戦うことは少なくなったはずです(非戦闘員の従軍神父、牧師は常にいますが)。
その後は、聖職者が戦うのは良くないとされ、十字軍などの聖戦以外は、戦うことは少なくなったはずです(非戦闘員の従軍神父、牧師は常にいますが)。
ネアンデルタール人が祖先の人間も、今の人類にいるのですか?
今では、アフリカのネグロイド以外は、ネアンデルタール人の祖先を持っているという説が有力ですね。
つまり現生人類がアフリカを出てから、先に出アフリカをしていたネアンデルタール人と混血したと。
つまり現生人類がアフリカを出てから、先に出アフリカをしていたネアンデルタール人と混血したと。
ソビエト連邦がアフガニスタン侵攻した時は当時の新聞やニュースで世界の終わり的な大ニュースだったのですか?
アフガニスタンぐらいで世界の終わりってことはないですね。
アフガニスタン占領の難しさはイギリスなどでは良く知られていたため、その二の舞をふむのではと冷ややかに見られていたような。
アフガニスタン占領の難しさはイギリスなどでは良く知られていたため、その二の舞をふむのではと冷ややかに見られていたような。
カロリング朝の王位を小ピピンが奪取したのをローマ教皇が承認した理由を教えてください
弱い王だと国がまとまらないから、イスラムやビザンティンそしてランゴバルドなどに対して、フランク王国を後ろ盾にしたい教皇は強い王を求めていたこと、そして、本来の王の血統ではない人間を神による聖別という形で権威付けることは、教皇・教会の権威を高めることになるため。
世界中から、戦争を無くす方法を教えて下さい。
SFにありますよ。
・レムやマトリックス、百億の昼と・・のように皆な眠らせて管理する。
・幼年期の終わりのように、武器を使えなくして、好戦的な人は収容する。
・人類を皆殺しにする。地球自体を破壊する。
2番目は悪くないですが、文明の発達は停滞してしまうようです。
世界史のジャンルじゃないね。
別の方法として、戦争を放送禁止用語にして、喧嘩に言い換える。
・レムやマトリックス、百億の昼と・・のように皆な眠らせて管理する。
・幼年期の終わりのように、武器を使えなくして、好戦的な人は収容する。
・人類を皆殺しにする。地球自体を破壊する。
2番目は悪くないですが、文明の発達は停滞してしまうようです。
世界史のジャンルじゃないね。
別の方法として、戦争を放送禁止用語にして、喧嘩に言い換える。
奴隷解放宣言発令後に至っても黒人奴隷が主人(元)に仕え続けていたという記述のある文献や文学を教えてください。
「風と共に去りぬ」の上級黒人奴隷(執事、家政婦、ナニー)は皆な、そうですが。
西洋の戦いでは、攻城側の降伏勧告を受け入れた場合は、寛容な処分をすることが決まっていたのですか?
それは時期によります。降伏勧告で条件を示すでしょうが、早い段階なら寛容でギリギリなら厳しい内容でしょう。
受諾が決まれば「神への誓い」をして締結します。これを破ると、当人自身の地獄落ちの恐怖と悪評判に加えて、教会が聖務停止や破門などの処置をする可能性があるため、よほどのことがなければ破られることはありません。
騎士は殺さず捕らえて身代金を取るなど、慣習的ルールはありますが、それを破っても悪評が立つだけです。しかし、悪評が積み重なれば孤立して自滅するでしょう。
ルールが適用されるのは、キリスト教徒だけです。異教徒には何をしても良く、約束は守らなくても良いとされます(教会は約束するな、積極的に破れとさえ言います)。
受諾が決まれば「神への誓い」をして締結します。これを破ると、当人自身の地獄落ちの恐怖と悪評判に加えて、教会が聖務停止や破門などの処置をする可能性があるため、よほどのことがなければ破られることはありません。
騎士は殺さず捕らえて身代金を取るなど、慣習的ルールはありますが、それを破っても悪評が立つだけです。しかし、悪評が積み重なれば孤立して自滅するでしょう。
ルールが適用されるのは、キリスト教徒だけです。異教徒には何をしても良く、約束は守らなくても良いとされます(教会は約束するな、積極的に破れとさえ言います)。
有名なギャング、バグジーがヒトラーやナチス幹部を狙ってたのは何故ですか?
ずっとアメリカにいたバグジーがヨーロッパにいるヒトラーやナチス幹部の何を狙ったのでしょう?
それはともかく、マイヤ・ランスキーが米国政府と秘密に協力して、反ナチ、連合軍支援の活動をしていたはずですから、何かしてたとすればランスキーの指示でしょう。もちろん当人もユダヤ人ですから自主的に協力したかもしれません。
それはともかく、マイヤ・ランスキーが米国政府と秘密に協力して、反ナチ、連合軍支援の活動をしていたはずですから、何かしてたとすればランスキーの指示でしょう。もちろん当人もユダヤ人ですから自主的に協力したかもしれません。
ドイツ貴族の名字(von)、とくに直系について教えてください
現在住んでいる国によります。オーストリアや米国は貴族の称号を禁止しているため、vonは外すか、姓とくっつけてその一部とする必要があります。ドイツはvonを使うことを認めていますが、爵位は公式の登録には使えません。しかし、私的に名乗ることは特に禁止していません。
>現代においては貴族の子孫であることはわかっていても、誰が直系か当事者たちもわからない
一般的に貴族は家系を大事にしますから、知ってると思いますが、無関心な人や過去を切り捨てて移民した人などは子孫に伝えないかも知れません。
>今現在の貴族の直系子孫の呼び名
ハプスブルク家の先代がオットー・フォン・ハプスブルク
現当主がカール・ハプスブルク
これはオーストリアに住んでいるからです。
>現代においては貴族の子孫であることはわかっていても、誰が直系か当事者たちもわからない
一般的に貴族は家系を大事にしますから、知ってると思いますが、無関心な人や過去を切り捨てて移民した人などは子孫に伝えないかも知れません。
>今現在の貴族の直系子孫の呼び名
ハプスブルク家の先代がオットー・フォン・ハプスブルク
現当主がカール・ハプスブルク
これはオーストリアに住んでいるからです。
基本的に、王国は、脱植民地化が、わりと速い期間でできると聞ききました
ちゃんとした社会体制ができている国ではそのシステムの上に宗主国がのっかる形だから、双方にとってマシな体制と言えるでしょう。
一方、未開な地域では社会システム自体を宗主国の人間が握って、現地の人間は下働き、単純労働者、召使という形になり易く、人権の観点や現地住民の利益の観点から見れば良くない状態でしょう。
当然、自分たちの社会システムを持っている方が独立した後の運営がスムーズになり、一方、現地人に国を運営する能力・経験のない地域はせっかく独立しても内戦に明け暮れることになりがちです(サハラ以南のアフリカがそうですね)。
一方、未開な地域では社会システム自体を宗主国の人間が握って、現地の人間は下働き、単純労働者、召使という形になり易く、人権の観点や現地住民の利益の観点から見れば良くない状態でしょう。
当然、自分たちの社会システムを持っている方が独立した後の運営がスムーズになり、一方、現地人に国を運営する能力・経験のない地域はせっかく独立しても内戦に明け暮れることになりがちです(サハラ以南のアフリカがそうですね)。
ドイツ王族・貴族の名前の構造がわかりません。
近世の貴族は良く分からないので、適当に答えてみますが、
>ヨシアス・ゲオルク・ヴィルヘルム・アドルフ
ヨシアスが洗礼名、ゲオルクが父方の祖父、ヴィルヘルムが母方の祖父、
アドルフは父のセカンドネームですが、これは父から受け継いだのか、この家で良く使われる名前のどちらかでしょう。父の名前を見ると特に規則ある訳ではなさそうで、親族の名前を必要に応じて適当に付けているのでしょう。
メッテルニヒがFürst von Metternich-Winneburg zu Beilsteinですから、Erbprinz von Rendsburg zu Rheinbergで良いでしょう。
undはWaldeck und Pyrmontという2つ合わせた領地名ですから当然いらないでしょう。
ヨーロッパの貴族を登場人物にした小説かゲームでも作るのですか?
>ヨシアス・ゲオルク・ヴィルヘルム・アドルフ
ヨシアスが洗礼名、ゲオルクが父方の祖父、ヴィルヘルムが母方の祖父、
アドルフは父のセカンドネームですが、これは父から受け継いだのか、この家で良く使われる名前のどちらかでしょう。父の名前を見ると特に規則ある訳ではなさそうで、親族の名前を必要に応じて適当に付けているのでしょう。
メッテルニヒがFürst von Metternich-Winneburg zu Beilsteinですから、Erbprinz von Rendsburg zu Rheinbergで良いでしょう。
undはWaldeck und Pyrmontという2つ合わせた領地名ですから当然いらないでしょう。
ヨーロッパの貴族を登場人物にした小説かゲームでも作るのですか?
ヴェストファーレン条約でスイスが独立したときの体制は?
まず、それ以前から実質的に独立してましたから、その前後で体制はほとんど変わりません。スイスは誓約者同盟で18世紀以前は軍事同盟に近いんですね。同盟の会議には各カントンの代表者が出ます(図の雰囲気)。そして各カントンは主権国家のようなものですから、体制はカントン毎に違います。都市はイタリアの都市国家のように大商人、ギルドの代表者、下級貴族などが支配階級を構成しているようですし、田舎では貴族中心のところもあるようです。
フランス人はゲルマン系なのにロマンス語派を話すのは何故?
フランスがゲルマン系だというのはフランク族が立てたフランク王国を基礎とするという理由ですよね。
その理論ならばイタリアはランゴバルト族が支配して、ドイツ系の神聖ローマ帝国に入ったからやはりゲルマン系になってしまいます。
まあ、答えとしてはローマ化したガリア人を時間をかけてフランク族が支配したが、ロマンス語の影響が強かったということですね。最初からローマ化してないゲルマン地域であるドイツ・オランダはゲルマン語がそのまま残っていると。
その理論ならばイタリアはランゴバルト族が支配して、ドイツ系の神聖ローマ帝国に入ったからやはりゲルマン系になってしまいます。
まあ、答えとしてはローマ化したガリア人を時間をかけてフランク族が支配したが、ロマンス語の影響が強かったということですね。最初からローマ化してないゲルマン地域であるドイツ・オランダはゲルマン語がそのまま残っていると。
中世ヨーロッパでは酒が水代わりとして飲まれていたと聞きました。ではアメリカでは?
水の質よりも腐敗を防ぐためにビール・エール、シードルのように発酵させたり、ワインを混ぜたりしていました。
中世のアメリカンネイティブはともかく、アメリカの植民地でも当初は似たようなものだったでしょうが、近世ですし、アメリカの水質はヨーロッパより良いところが多いでしょうから、ソフトドリンクの消費も多かったでしょう。
禁酒法が念頭にあるのかも知れませんが、欧米で酒というのは蒸留酒のことで、禁酒法時代でも自家用の醸造酒は飲まれています。
中世のアメリカンネイティブはともかく、アメリカの植民地でも当初は似たようなものだったでしょうが、近世ですし、アメリカの水質はヨーロッパより良いところが多いでしょうから、ソフトドリンクの消費も多かったでしょう。
禁酒法が念頭にあるのかも知れませんが、欧米で酒というのは蒸留酒のことで、禁酒法時代でも自家用の醸造酒は飲まれています。
日本の龍 中国の龍 ケルトなどヨーロッパの龍それぞれの違いは?
ごくごく簡単に言うと。
蛇に足がはえたようなのが東洋の竜
トカゲに羽根がはえたようなのが西洋のドラゴン
蛇に足がはえたようなのが東洋の竜
トカゲに羽根がはえたようなのが西洋のドラゴン
英仏百年戦争はどちらが勝ったと言えるのですか?
客観的に言えばイングランドが負けています。300年所有していたギエンヌ・ガスコニューを奪われていますから。
しかし、イングランドは攻略された訳でも、負けを認めた訳でもなく、再侵攻を狙ったまま薔薇戦争でうやむやになり、その後は海外に興味が移っただけです。イングランド王はハノーバ朝までフランス王を名乗っていました。
しかし、イングランドは攻略された訳でも、負けを認めた訳でもなく、再侵攻を狙ったまま薔薇戦争でうやむやになり、その後は海外に興味が移っただけです。イングランド王はハノーバ朝までフランス王を名乗っていました。
資本家は労働者の労働意欲を上げるために「労働は美徳」プロパカンダを流していたのですか?
むしろ働かない貴族・大地主が上流階級として威張っていたのに対して、中産階級が自分たちの方が偉いと主張したのが元でしょう。
まあ、その後、資本主義社会ではそういう使い方もしたでしょうし、共産主義国で労働者が最も偉いというプロパンガンダとしても使われたでしょう。
まあ、その後、資本主義社会ではそういう使い方もしたでしょうし、共産主義国で労働者が最も偉いというプロパンガンダとしても使われたでしょう。
現代でも叙爵ってありますか
ヨーロッパではイギリス、ベルギー、スペインにはあります。他はあるかもしれませんが知りません。王政を廃止した国では、新たな叙爵はないでしょう。
イギリスでは新たな叙爵は一代貴族が多いですが、世襲貴族が与えられることもあります。
なおナイトの称号はたまにではありません。毎年、かなりの人数が与えられています。日本の春の受勲と同じようなものです。
あと、国でないところではシーランド公国の爵位販売が有名ですね。
イギリスでは新たな叙爵は一代貴族が多いですが、世襲貴族が与えられることもあります。
なおナイトの称号はたまにではありません。毎年、かなりの人数が与えられています。日本の春の受勲と同じようなものです。
あと、国でないところではシーランド公国の爵位販売が有名ですね。
ナポレオンは結局、何を目指していたのでしょうか?
特に何かを目指したわけじゃないと思うが。
将軍の時は勝つこと、総裁、統領の時は自分への陰謀をつぶすこと、皇帝の時はそれに反対する勢力に勝つこと、鏡の国のアリスの赤の女王理論のように、とにかく進まなければ押し流される状態で最後まで行っているような。
まあ、革命精神の維持とフランスの栄光と古代ローマ帝国の再現は頭にあったでしょうが。
将軍の時は勝つこと、総裁、統領の時は自分への陰謀をつぶすこと、皇帝の時はそれに反対する勢力に勝つこと、鏡の国のアリスの赤の女王理論のように、とにかく進まなければ押し流される状態で最後まで行っているような。
まあ、革命精神の維持とフランスの栄光と古代ローマ帝国の再現は頭にあったでしょうが。
戦争の結果、海がなくなったオーストリア国民の気持ちはどういうもんでしょうね?
まあ例えれば、武田家が駿河を失った時の甲斐の領民の気持ちでしょうか。
駿河に利権を持っていた人以外はちょっと悔しいとか、周りの国と戦争になったら塩が心配だとか。
元々、オーストリアに海はありませんでしたからね。
ベネチアとかをオーストリア帝国に組み込んだだけで。
駿河に利権を持っていた人以外はちょっと悔しいとか、周りの国と戦争になったら塩が心配だとか。
元々、オーストリアに海はありませんでしたからね。
ベネチアとかをオーストリア帝国に組み込んだだけで。
イタリアのマフィア、コーザノストラは本国では差別される地域または階級の人間がマフィアになったんですか?
地域的には農業・牧畜中心で比較的貧しく、なおかつ貴族に搾取される南部イタリアですので差別される地域と言っていいかもしれませんが、構成員はむしろ地域の有力者です。
ちなみに、コーザノストラという名称自体はシチリア・マフィアの自称で、マフィアも本来はシチリア・マフィアを指していたのが、現在では南部イタリアのナポリのカモラ、カラブリアのンドランゲタなどを含みます。
ちなみに、コーザノストラという名称自体はシチリア・マフィアの自称で、マフィアも本来はシチリア・マフィアを指していたのが、現在では南部イタリアのナポリのカモラ、カラブリアのンドランゲタなどを含みます。
叙任権闘争はなんでドイツで起きたのですか?
叙任権闘争の内容はWikipediaでも見てもらうこととして、本質的にはどこででも起こりえる問題です。
神聖ローマ帝国は諸侯を押えるたために意図的に教会領を増やしていたことと、キリスト教世界における皇帝と教皇の権威争いの性質があるため、最も最初で深刻だっただけです。後にイングランドでも起こっています。
フランスは教皇とは協調姿勢を貫いていたため起こっていませんが、最後にはアナーニ事件を引き起こしています。
神聖ローマ帝国は諸侯を押えるたために意図的に教会領を増やしていたことと、キリスト教世界における皇帝と教皇の権威争いの性質があるため、最も最初で深刻だっただけです。後にイングランドでも起こっています。
フランスは教皇とは協調姿勢を貫いていたため起こっていませんが、最後にはアナーニ事件を引き起こしています。
日本の英語表記はなぜ「Japan」なんですか?
当時は元の時代だったため、「日本」を中国北部方言で読んだ(のを西欧人がアルファベットで記載した)のがジパングなんですね。
それがヨーロッパの各言語で変化して英語ではJapanになったと。
従って、「天ツ上」なら別の表記になったでしょう。
それがヨーロッパの各言語で変化して英語ではJapanになったと。
従って、「天ツ上」なら別の表記になったでしょう。
南北戦争後、アメリカ南部で黒人差別が更に激化した背景は?
黒人にも、北部からきたカーペットバッガーと組んでこれまでの恨みをはらそうとするものもいるし、南部人からみれば、これまでの恩/分際を忘れて生意気なということになります。
しかし、基本的に差別というのは同等であるべき対象に行われるものだから、奴隷と主人という明確な区別・秩序があった戦前より激しくなるのは当然ともいえます。
しかし、基本的に差別というのは同等であるべき対象に行われるものだから、奴隷と主人という明確な区別・秩序があった戦前より激しくなるのは当然ともいえます。
リチャード3世は蛙を食べた?
まあ、蛙ぐらいは食べたかも知れませんが生ではね。
この手の与太話は大概シェイクスピアですが、彼の「リチャード3世」にはそのような記述はありません。
ざっと、ネットを検索した限りでは、「時の娘」関連がほとんどです。
面白いのは「生きた蛙を食べた(ate live frogs)」を検索すると悪評高いアレッサンドロ6世が出てくることです。
おかしな人間、悪人のイメージとして、そのような形容があるのかも知れません。英語のgeekは生きている鶏の首を噛み千切る人ですが、そんな感じかも。
答えにはなってませんが、参考まで。
この手の与太話は大概シェイクスピアですが、彼の「リチャード3世」にはそのような記述はありません。
ざっと、ネットを検索した限りでは、「時の娘」関連がほとんどです。
面白いのは「生きた蛙を食べた(ate live frogs)」を検索すると悪評高いアレッサンドロ6世が出てくることです。
おかしな人間、悪人のイメージとして、そのような形容があるのかも知れません。英語のgeekは生きている鶏の首を噛み千切る人ですが、そんな感じかも。
答えにはなってませんが、参考まで。
中世のイギリスで爵位の異なる貴族の結婚は可能?
イングランドの貴族はPeerと言います。つまり仲間・同等です。
従って、貴族間の結婚は可能です。
また、中世においては爵位より、実際の実力(領地の大きさ、豊かさ、武力、人物)が重視されます。
実際上は、お互いにメリットがあるかが重要です。
>位の高い男性貴族が位の低い貴族の令嬢と結婚する
彼女が女性相続人であればメリットは大きいため、非常に良く行われます。
あとは、軍事上、政略上、その家と結ぶ必要がある場合ですね。
それ以外の例も全て、お互いにメリットがあるかどうかで決まりますが、全て可能です。
従って、貴族間の結婚は可能です。
また、中世においては爵位より、実際の実力(領地の大きさ、豊かさ、武力、人物)が重視されます。
実際上は、お互いにメリットがあるかが重要です。
>位の高い男性貴族が位の低い貴族の令嬢と結婚する
彼女が女性相続人であればメリットは大きいため、非常に良く行われます。
あとは、軍事上、政略上、その家と結ぶ必要がある場合ですね。
それ以外の例も全て、お互いにメリットがあるかどうかで決まりますが、全て可能です。
「末子相続」とは?
相続には地位と財産があり、財産には1子相続と分割相続があります。
1子相続の場合、古今東西、跡継ぎは長男で良いと思います。
遊牧民の末子相続は分割相続の1種で、上から順番にいくらかの財産を相続して自立していくため、最後に親や先祖の地を受け継ぐのが末子になるということです。開発の余地のある世界では良く取られる方法で、日本でも平安期の武士はこれに近い相続を行っていることがあります。
地位に関しては遊牧民は実力による選出の方法が取られることが多いため、末子が跡を継ぐとは限りません。
1子相続の場合、古今東西、跡継ぎは長男で良いと思います。
遊牧民の末子相続は分割相続の1種で、上から順番にいくらかの財産を相続して自立していくため、最後に親や先祖の地を受け継ぐのが末子になるということです。開発の余地のある世界では良く取られる方法で、日本でも平安期の武士はこれに近い相続を行っていることがあります。
地位に関しては遊牧民は実力による選出の方法が取られることが多いため、末子が跡を継ぐとは限りません。
ポルトガル王ジョアン1世の妃フィリッパは、何故27歳になるまで結婚しなかったのですか?
ちょっと調べてみたのですが、明確な原因は分からなかったので、以下推測を交えます。
まず、事実らしきもの
・16歳の頃から結婚相手を探して決まらなかった
・候補はルクセンブルク、バイエルン、フランス王シャルル6世、イングランド王リチャード2世
・さほど美しくなかった
・妹、弟(後のヘンリー4世)は早くにイングランドの貴族と結婚している。
推測
容貌は、王侯の結婚には、それほど重要ではない。美貌だと有利だが、決まらない理由にはならない。すごく不細工だと問題だが、肖像画を見る限り、多少、良く描いているとしてもすごく醜いとは思えない。
どうも候補を見ると野心家の父親が少し高望みしたかなという感じがする。当時、ジョン・オブ・ゴーントは有力王族であっても王位継承者ではなく、王は勿論、ドイツのプリンス達から見ても格下の相手だし、イングランドは百年戦争で不利な立場にあり、外交的に彼女と結婚するメリットが少なかった。そのため、妹、弟たちには無難な結婚をさせたが、フィリッパは既に行き遅れていたと。
ポルトガル王は対カスティラ・フランスのためにイングランドと組む必要があったため、しょうがなく、大年増のフィリッパと結婚したという感じか。
補足:
他の人に意見にコメントを寄せることはあまりしない方が良いとは思うのですが、
>女系の王位継承が可能。「王位継承権第二位」
女系継承を認めるならエドワード3世の次男ライオネルの系統に行ってしまい、ランカスターにこないから、ジョン・オブ・ゴーントはフランス風の男子限定(いわゆるサリカ法)にしようと主張していたのです。従って、彼が王位につくのであれば、第二位は弟のヨーク公と看做されたはずです。まあ、そこをはっきりさせなかったから、最後は薔薇戦争でバラバラになったんですが。
まず、事実らしきもの
・16歳の頃から結婚相手を探して決まらなかった
・候補はルクセンブルク、バイエルン、フランス王シャルル6世、イングランド王リチャード2世
・さほど美しくなかった
・妹、弟(後のヘンリー4世)は早くにイングランドの貴族と結婚している。
推測
容貌は、王侯の結婚には、それほど重要ではない。美貌だと有利だが、決まらない理由にはならない。すごく不細工だと問題だが、肖像画を見る限り、多少、良く描いているとしてもすごく醜いとは思えない。
どうも候補を見ると野心家の父親が少し高望みしたかなという感じがする。当時、ジョン・オブ・ゴーントは有力王族であっても王位継承者ではなく、王は勿論、ドイツのプリンス達から見ても格下の相手だし、イングランドは百年戦争で不利な立場にあり、外交的に彼女と結婚するメリットが少なかった。そのため、妹、弟たちには無難な結婚をさせたが、フィリッパは既に行き遅れていたと。
ポルトガル王は対カスティラ・フランスのためにイングランドと組む必要があったため、しょうがなく、大年増のフィリッパと結婚したという感じか。
補足:
他の人に意見にコメントを寄せることはあまりしない方が良いとは思うのですが、
>女系の王位継承が可能。「王位継承権第二位」
女系継承を認めるならエドワード3世の次男ライオネルの系統に行ってしまい、ランカスターにこないから、ジョン・オブ・ゴーントはフランス風の男子限定(いわゆるサリカ法)にしようと主張していたのです。従って、彼が王位につくのであれば、第二位は弟のヨーク公と看做されたはずです。まあ、そこをはっきりさせなかったから、最後は薔薇戦争でバラバラになったんですが。
女性で一番出世したのは則天武后ですか?
匹敵するのはロシアのエカテリーナ女帝か。
一応、父はドイツの小領邦君主だが、あまり裕福でなく、プロシアの軍人だったということで、父が都督だった武氏とは似たようなものだろう。
一応、父はドイツの小領邦君主だが、あまり裕福でなく、プロシアの軍人だったということで、父が都督だった武氏とは似たようなものだろう。
十字軍は現在でもイスラム世界に影を落としているのですか?
いまだにと言うより、アラブナショナリズムの発揚により、植民地時代以降の近年に批判され影を落とすようになったのです。
十字軍は西欧ではキリスト教対イスラム教の戦いと看做されているのですが、当時のイスラム世界では、そのようには受け止められておらず、トルコ対フランク+ビザンティンやエジプト対フランクの戦争と見られていました。
また、中世というのは、始終、戦争があり、現代から見れば残虐な世界です。エルサレムの皆殺しは中世ですら残虐ですが、西欧でもイスラム世界でもしばしば起きていることです。十字軍後期に中東にきたモンゴルも当初は皆殺しばかりでした。
オスマントルコがヨーロッパに侵攻しているころまでは、ヨーロッパに対しても優越感を持ってますし、イスラムの範囲もインドからインドネシアまで拡大しています。優位な方は恨みを持たないものです。
それが、オスマン帝国がヨーロッパ諸国から領土を奪われ、イスラム世界が植民地化されたことにより、キリスト教徒に対する反感が強まり、イスラム側でも十字軍をキリスト教のイスラム教に対する攻撃と見做すようになったのです。
十字軍は西欧ではキリスト教対イスラム教の戦いと看做されているのですが、当時のイスラム世界では、そのようには受け止められておらず、トルコ対フランク+ビザンティンやエジプト対フランクの戦争と見られていました。
また、中世というのは、始終、戦争があり、現代から見れば残虐な世界です。エルサレムの皆殺しは中世ですら残虐ですが、西欧でもイスラム世界でもしばしば起きていることです。十字軍後期に中東にきたモンゴルも当初は皆殺しばかりでした。
オスマントルコがヨーロッパに侵攻しているころまでは、ヨーロッパに対しても優越感を持ってますし、イスラムの範囲もインドからインドネシアまで拡大しています。優位な方は恨みを持たないものです。
それが、オスマン帝国がヨーロッパ諸国から領土を奪われ、イスラム世界が植民地化されたことにより、キリスト教徒に対する反感が強まり、イスラム側でも十字軍をキリスト教のイスラム教に対する攻撃と見做すようになったのです。
日本の侍は剣道で腕を磨いていたと思いますが、西洋の騎士はどんな風に修行していたのですか?
剣道というと竹刀での撃ち合いを思い浮かべますが、これは一刀流の中西派だかが始めたもので江戸時代の剣術でも主流ではないし、剣術は腕を磨くというより精神修養や嗜みです。
侍が腕を磨くのであれば、弓、乗馬、槍が中心でしょ。そして相撲なども組打ちの稽古として好まれました。
西洋の騎士なら、馬上槍試合(トーナメント)、狩猟が鍛錬の中心です。
侍が腕を磨くのであれば、弓、乗馬、槍が中心でしょ。そして相撲なども組打ちの稽古として好まれました。
西洋の騎士なら、馬上槍試合(トーナメント)、狩猟が鍛錬の中心です。
昔は一日2食だったそうだが、外国もそう?
食事の習慣は地域、時代、階級によって様々です。
一般的に食事は火を起こして調理した料理を食べることを言いますが、間食に軽食(スナック)を取る習慣は色々あります。
それらを食事に含めるかどうかで、何食かの数は違ってきます。
概ね、食事が2食で、軽食が何回かという形が多いと思います。全部、含めれば4食、5食も存在します。
コンチネンタル・ブレイクファストなんかも軽食ですし、朝食がコーヒーとトーストのみの人なら、一日2食と言った方が近いでしょう。
一般的に食事は火を起こして調理した料理を食べることを言いますが、間食に軽食(スナック)を取る習慣は色々あります。
それらを食事に含めるかどうかで、何食かの数は違ってきます。
概ね、食事が2食で、軽食が何回かという形が多いと思います。全部、含めれば4食、5食も存在します。
コンチネンタル・ブレイクファストなんかも軽食ですし、朝食がコーヒーとトーストのみの人なら、一日2食と言った方が近いでしょう。
英国では医者や弁護士より歴史家の方が偉いと聞きました。本当?
現代もそうかは定かではないですが、歴史的にはそうでしょうね。
というのは、医者、弁護士は中流インテリ階級の「仕事」で顧客に奉仕するのに対して、歴史のように直接、実用に供しない学問は、有閑階級が社会に対する貢献として行ったものだからです。
というのは、医者、弁護士は中流インテリ階級の「仕事」で顧客に奉仕するのに対して、歴史のように直接、実用に供しない学問は、有閑階級が社会に対する貢献として行ったものだからです。
カトリックは奴隷を嫌ったそうですが、農奴はどうなんでしょう?
カトリックの奴隷に対する態度はその時々で、多少、変わりますが、原則は
同じキリスト教徒は奴隷にしてはならない。しかし、奴隷がキリスト教徒になっても、解放しなければならないことはない。
神の前ではキリスト教徒は平等だが、それは世俗の身分制を否定するものではない。
この原則はイスラム教も同じなのですが、カトリックの方がより否定的で奴隷を解放して農奴や召使とすることを推奨していました。
封建時代にはカトリック教会は教会領を持つ封建領主ですから当然、多くの農奴を持っていました。
同じキリスト教徒は奴隷にしてはならない。しかし、奴隷がキリスト教徒になっても、解放しなければならないことはない。
神の前ではキリスト教徒は平等だが、それは世俗の身分制を否定するものではない。
この原則はイスラム教も同じなのですが、カトリックの方がより否定的で奴隷を解放して農奴や召使とすることを推奨していました。
封建時代にはカトリック教会は教会領を持つ封建領主ですから当然、多くの農奴を持っていました。
ユダヤ人が金持ちになったのはなぜでしょうか
こんなところか、
・金貸しができた。
・世界的ネットワークをもっている。
・迫害されていたため土地より持ち出せる金にこだわった。
・金貸しができた。
・世界的ネットワークをもっている。
・迫害されていたため土地より持ち出せる金にこだわった。
キリスト教の祝日について異教という言葉を用いて説明してください
キリスト教の祝日は異教起源の祝祭をキリスト教の聖人に入れ替えたものです。
クリスマスもバレンタインもローマ時代から祝われていた日です。
クリスマスもバレンタインもローマ時代から祝われていた日です。
伯爵を軍人の階級にしたらどのくらいになりますか?
比較できるものではないと断った上で、
伯は封建時代にはかなり高い称号だったのですが、絶対王政のころだと、欧州大陸では割とありふれた称号になってしまい、サンジェルマン伯爵、カリオストロ伯爵、モンテクリスト伯爵(笑)といった怪しげな人たちが称してます。
ということで、上流階級出身なら特に問題がなければなれた大佐くらいとしておきます。
伯は封建時代にはかなり高い称号だったのですが、絶対王政のころだと、欧州大陸では割とありふれた称号になってしまい、サンジェルマン伯爵、カリオストロ伯爵、モンテクリスト伯爵(笑)といった怪しげな人たちが称してます。
ということで、上流階級出身なら特に問題がなければなれた大佐くらいとしておきます。
貴族と士族が分離して発達してきた国はありますか?
要は武家と公家のように軍人・武人階層と神官・文官階層が明確に分かれている社会が他にないかということでしょうね。
中国では南北朝時代の南朝での、北部から逃れてきた貴族と地元出身が中心の武官達がそういう関係に近いかもしれません。
欧州では、騎士・貴族階級の次男以下が聖職者になりますから、分かれていません。
バラモン・ヒンズー教のバラモン、ユダヤ王国のレビ族が独立した集団なので近いかもしれません。
イスラム帝国でアッバース朝のカリフの権威が低下した後の、カリフの宮廷とセリュジューク・トルコなどのサルタンとの関係もそれに近いでしょう。
中国では南北朝時代の南朝での、北部から逃れてきた貴族と地元出身が中心の武官達がそういう関係に近いかもしれません。
欧州では、騎士・貴族階級の次男以下が聖職者になりますから、分かれていません。
バラモン・ヒンズー教のバラモン、ユダヤ王国のレビ族が独立した集団なので近いかもしれません。
イスラム帝国でアッバース朝のカリフの権威が低下した後の、カリフの宮廷とセリュジューク・トルコなどのサルタンとの関係もそれに近いでしょう。
中世ヨーロッパで兵隊の質が高かったのはどこの国なのでしょうか?
イングランド、ウェールズのロング・ボウ兵ですね。
彼らは小さい頃から鍛えられ、取扱の難しいロング・ボウを1分間に5-6発の割合で速射でき、指揮官の命令に従って整然と行動しました。
また、矢が尽きた後でも当時の歩兵としては勇敢に戦っており、その成果は百年戦争のクレシー、ポワチエ、アジャンクールを始めとして如実に示されています。
(スイス傭兵は既に他の人が言っている)
傭兵ではイングランドのジョン・ホークウッドの白衣団なんかも有名ですが、イタリアでの活躍ですので、あまり強くなかったかもしれません。近世になりますが、ドイツのランツクネヒトも有名ですね。
彼らは小さい頃から鍛えられ、取扱の難しいロング・ボウを1分間に5-6発の割合で速射でき、指揮官の命令に従って整然と行動しました。
また、矢が尽きた後でも当時の歩兵としては勇敢に戦っており、その成果は百年戦争のクレシー、ポワチエ、アジャンクールを始めとして如実に示されています。
(スイス傭兵は既に他の人が言っている)
傭兵ではイングランドのジョン・ホークウッドの白衣団なんかも有名ですが、イタリアでの活躍ですので、あまり強くなかったかもしれません。近世になりますが、ドイツのランツクネヒトも有名ですね。
世界史の人物の名前になぜ「=」が入るのかを教えて下さい。
2つの単語からなるが、併せて1つの意味を持つものを=でつないでいるようです。多分、日本独自で、現地では-で繋いでいることが多いようです。
例えば、星の王子さまのサン=テグジュペリの名前は
Antoine Marie Jean-Baptiste Roger de Saint-Exupéry
でサンテグジュペリの部分は、2つの単語ですが聖エグジュペリで1人の聖人を表していますので繋いでいます。
またジャン=バティストもこれで1つの名前です。メリージェン、ジャンポールなんかと同じですね。
個人的には=はなくても良いと思っていますが。
例えば、星の王子さまのサン=テグジュペリの名前は
Antoine Marie Jean-Baptiste Roger de Saint-Exupéry
でサンテグジュペリの部分は、2つの単語ですが聖エグジュペリで1人の聖人を表していますので繋いでいます。
またジャン=バティストもこれで1つの名前です。メリージェン、ジャンポールなんかと同じですね。
個人的には=はなくても良いと思っていますが。
チャーチルの言葉に、「悲観主義者は・・」がありますが、この言葉が載っている本はありますか?
"A pessimist sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees the opportunity in every difficulty."
は、
Churchill by Himself : The Definitive Collection of Quotations (2008) by Richard Langworth
の"Red Herrings: False Attributions"の項目に載っているそうです。つまりチャーチルの言葉ではないそうです。
は、
Churchill by Himself : The Definitive Collection of Quotations (2008) by Richard Langworth
の"Red Herrings: False Attributions"の項目に載っているそうです。つまりチャーチルの言葉ではないそうです。
どうして同じ大陸に存在する国なのに言語が違ったりするのでしょうか?
2つの理由があります。
1つは同じ語族の中の変化で、地域毎にわずかな違いが生じ、それが積み重なって、遠い地域では別の言語と呼ばれるほどの違いが出てくるのです。
もう1つは語族が違う場合で、最初から起源が違うため、文法が違います。そのため、隣り合わせで交流があって単語が流入しても文法が違うため同じ言語にはなりません。
1つは同じ語族の中の変化で、地域毎にわずかな違いが生じ、それが積み重なって、遠い地域では別の言語と呼ばれるほどの違いが出てくるのです。
もう1つは語族が違う場合で、最初から起源が違うため、文法が違います。そのため、隣り合わせで交流があって単語が流入しても文法が違うため同じ言語にはなりません。
ローマ帝国が崩壊し農奴制が敷かれ始めるまでに、彼らの状況には変化があった?
ゲルマン系国家では上層部が移動してきたゲルマン系民族に入れ替わっただけで、下層部の農民の生活はあまり変わっていません。
むしろ長期的な変化として、キリスト教の影響から奴隷が農奴になり、また、戦乱から封建制確立の中で自由農民が農奴化し、封建制下ではほとんどが農奴として荘園に従属します。しかし、実際は農奴の中には、自由農民に近いものから奴隷に近いものまで、権利と従属度の異なる様々な階層が存在しており、実態に多きな変化はなかったでしょう。
中世盛期には、農業生産が増加し、農民の生活も少しずつ豊かになって行き、権利も向上し始めます。
むしろ長期的な変化として、キリスト教の影響から奴隷が農奴になり、また、戦乱から封建制確立の中で自由農民が農奴化し、封建制下ではほとんどが農奴として荘園に従属します。しかし、実際は農奴の中には、自由農民に近いものから奴隷に近いものまで、権利と従属度の異なる様々な階層が存在しており、実態に多きな変化はなかったでしょう。
中世盛期には、農業生産が増加し、農民の生活も少しずつ豊かになって行き、権利も向上し始めます。
外国の本で、よく「亡き父に捧げる」なんていう言葉がありますが、どこからきた伝統(慣習)なんでしょうか。
英語版Wikipediaによるとギリシア・ローマの昔からあったが、習慣として良く見られるようになったのは18世紀からで、本を執筆するにあたって資金的援助をしてくれたパトロンに感謝を捧げたものだそうです。それが、パトロンが廃れるようになって、家族や友人など個人的な感謝の対象に捧げられるようになったのでしょう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Dedication_(publishing)
http://en.wikipedia.org/wiki/Dedication_(publishing)
江戸時代、宮廷と武家とは婚姻以外にどんな絡みがあるんでしょうか?
江戸時代には、幕府が武家には別に官位を与えていたので、朝廷とは無関係です。
室町や鎌倉幕府でも幕府が武家の官位を実質上、与えていましたが、これは幕府から朝廷に推薦したものを朝廷が認めるという形でした。戦国時代には将軍が流浪したりして、これが崩れ、大名が直接、朝廷から官位をもらうことも増えるようになりました。
室町や鎌倉幕府でも幕府が武家の官位を実質上、与えていましたが、これは幕府から朝廷に推薦したものを朝廷が認めるという形でした。戦国時代には将軍が流浪したりして、これが崩れ、大名が直接、朝廷から官位をもらうことも増えるようになりました。
江戸時代でも庶民を含めても60%近いそうですが、同等の識字率を持つ国はありますか?
60パーセントは平仮名が読めるという話だろうからね。
漢字の入った文書は庶民には読めず、教養のある人に読んでもらわなければならなかったしね(落語なら大家のご隠居、田舎なら坊さん)。
中世ヨーロッパでほとんどの人が文字が読めなかったのは書き言葉がラテン語だったからだし、教養階級はフランス語を使ったりと、同じように比較することはできないからね。
日本でも教養階級は漢文やその読み下し文だし。文語調の文章を理解できない人も多いだろうし。
漢字の入った文書は庶民には読めず、教養のある人に読んでもらわなければならなかったしね(落語なら大家のご隠居、田舎なら坊さん)。
中世ヨーロッパでほとんどの人が文字が読めなかったのは書き言葉がラテン語だったからだし、教養階級はフランス語を使ったりと、同じように比較することはできないからね。
日本でも教養階級は漢文やその読み下し文だし。文語調の文章を理解できない人も多いだろうし。
西洋では、日本のように討ちとった相手の首を取る風習はなかったのでしょうか。
(騎士は捕虜にして身代金を取るのが慣習だったと既に他の人が言及している)
ちょっと追加するとキリスト教の影響「汝殺すなかれ」もあります。
11世紀頃からカトリックの影響力が強まり、戦闘中に「事故」で死ぬのは仕方がないとして、意図的に殺すことが忌われるようになったのです。クロス・ボウが教皇からしばしば禁令が出されたのも殺傷力が強いからという面があります。
えっ、雑兵はバンバン殺されてるって?あれは、騎士などの重装兵と同様に攻撃しているだけで、雑兵の装甲が弱いから勝手に死んでるわけだし、重傷の者はどうせ当時の医療技術では助からないから「慈悲による死」を与えているのだよ。
ちょっと追加するとキリスト教の影響「汝殺すなかれ」もあります。
11世紀頃からカトリックの影響力が強まり、戦闘中に「事故」で死ぬのは仕方がないとして、意図的に殺すことが忌われるようになったのです。クロス・ボウが教皇からしばしば禁令が出されたのも殺傷力が強いからという面があります。
えっ、雑兵はバンバン殺されてるって?あれは、騎士などの重装兵と同様に攻撃しているだけで、雑兵の装甲が弱いから勝手に死んでるわけだし、重傷の者はどうせ当時の医療技術では助からないから「慈悲による死」を与えているのだよ。
ドイツは元は神聖ローマ帝国なのですが、帝国内の民族構成はゲルマン人が主流だったのですか?
違います、神聖ローマ帝国の中にドイツ王国があったのです。
ゲルマン系でない民族はボヘミア人、イタリア人、プロバンス・アルル人、若干のフランス人ですので、ゲルマン系が主流といって良いでしょう。
ゲルマン系でない民族はボヘミア人、イタリア人、プロバンス・アルル人、若干のフランス人ですので、ゲルマン系が主流といって良いでしょう。
英独、仏英、独仏これらの中でもっとも長く激しいライバル関係なのは独仏ですか?
まず、歴史的に英独は仲が良い。間にフランスを挟んでいるため、対フランスで手を結ぶことが多いし、民族的にアングロサクソンはザクセンの分派だから親近感がある。
仏独は東西フランクの頃は対立が激しかったが、その後、神聖ローマ帝国ができたころはフランスは国としてまとまっていなかったし、フランスが強力になった頃は神聖ローマ帝国は領邦国家に分裂し始めているため、あまり国対国の対立はない。オーストリアと対立することは多かったとしても他の領邦国家と結んでいたりするし。
結局、英仏が最もライバル関係が長いかもしれないが、英といっても対立していたのはイングランドで、スコットランドはずっとフランスの同盟国だったのは注意点。
仏独は東西フランクの頃は対立が激しかったが、その後、神聖ローマ帝国ができたころはフランスは国としてまとまっていなかったし、フランスが強力になった頃は神聖ローマ帝国は領邦国家に分裂し始めているため、あまり国対国の対立はない。オーストリアと対立することは多かったとしても他の領邦国家と結んでいたりするし。
結局、英仏が最もライバル関係が長いかもしれないが、英といっても対立していたのはイングランドで、スコットランドはずっとフランスの同盟国だったのは注意点。
教会大分裂で、なぜ、フランスとドイツとかは別々の教皇を擁立したのですか?
回答が付いていないので、一応、
アヴィニョン教皇はフランスの影響を非常に強く受けるため、反フランス勢力はローマの教皇を支持した訳です。当時は百年戦争中でヨーロッパは親フランス勢力と反フランス勢力(親イングランドとは必ずしも言えない)に分かれていましたから。
教会大分裂に至った経緯などは、Wikipediaなどを見れば分かると思います。
アヴィニョン教皇はフランスの影響を非常に強く受けるため、反フランス勢力はローマの教皇を支持した訳です。当時は百年戦争中でヨーロッパは親フランス勢力と反フランス勢力(親イングランドとは必ずしも言えない)に分かれていましたから。
教会大分裂に至った経緯などは、Wikipediaなどを見れば分かると思います。
もし今の一般的な日本の現代っ子が第二次大戦の戦場へ行ったらどうなりますか?
そのまま放り込めば、むろん死んじゃうけど、ちゃんと訓練すれば命がかかっているから必死で戦うでしょう。
特に大戦後半になると、どの国も新規徴兵された素人兵ばかりだから、まあなんとか戦えるでしょう。
それとも、今の子って銃も持てない程、ひ弱なんだろうか?
特に大戦後半になると、どの国も新規徴兵された素人兵ばかりだから、まあなんとか戦えるでしょう。
それとも、今の子って銃も持てない程、ひ弱なんだろうか?
欧州の国って、何で順番に強くなってるんですか?
平家物語にあるように、
盛者必衰の理をあらわす。驕れる人も久しからず、 ただ春の世の夢のごとし。
狭い地域に国がひしめいているのだから、どこかが強くなると、相対的に他が弱くなる。しかし、フランスは国土・人口の点で地力が大きいから浮き沈みはあっても、強国であることが多かった。地力の少ない国は一時的に栄えてもすぐにポシャってしまうってことね。ドイツは統一さえできれば、元々強い国。
盛者必衰の理をあらわす。驕れる人も久しからず、 ただ春の世の夢のごとし。
狭い地域に国がひしめいているのだから、どこかが強くなると、相対的に他が弱くなる。しかし、フランスは国土・人口の点で地力が大きいから浮き沈みはあっても、強国であることが多かった。地力の少ない国は一時的に栄えてもすぐにポシャってしまうってことね。ドイツは統一さえできれば、元々強い国。
ゲルマン人とローマ人はどちらが野蛮な民族だと思いますか
思う思わないの問題ではなく、良い悪いの問題でもなく、言葉の定義から言えばローマ人が文明でその当時のゲルマン人は野蛮人(barbarian)です。どちらが好ましいか、どちらが優れているか、あるいはどちらが残虐・暴虐かなら、人それぞれの考え・思いがあるでしょう。
イギリスの建国は何年?フランスやアメリカみたいにピシッと決まってんの?
イギリスに正式なナショナル・デイはありません。正式な建国年というのも決まっていません。
国の代表的記念日という意味のナショナル・デイと建国記念日とは少し違った概念で、イングランドの建国というとノルマン・コンクエストの年だとも言えるでしょうし、伝説的なアルフレッド大王に遡るとも言えますし、イギリスなら連合王国の成立年と言えるでしょう。ナショナル・デイである米国の独立記念日は建国といって問題ないでしょうが、フランスではナショナル・デイはフランス革命の日ですが、建国という観点では、ユグ・カペーの即位やシャルルマニューの即位などの方が合っているでしょう。
国の代表的記念日という意味のナショナル・デイと建国記念日とは少し違った概念で、イングランドの建国というとノルマン・コンクエストの年だとも言えるでしょうし、伝説的なアルフレッド大王に遡るとも言えますし、イギリスなら連合王国の成立年と言えるでしょう。ナショナル・デイである米国の独立記念日は建国といって問題ないでしょうが、フランスではナショナル・デイはフランス革命の日ですが、建国という観点では、ユグ・カペーの即位やシャルルマニューの即位などの方が合っているでしょう。
なぜハインリヒ4世はトスカーナ女伯に跪いているのですか?
まあ皇帝が身を低くして取りなしを願っている図な訳ですが、考えられるのは
1つはこの時代において王は貴族の第1人者にすぎず、親族でもある北イタリアの大貴族のマチルダとはあまり身分の差はないということ
いま1つはこれが、1115年のマチルダの死後に書かれたカノッサの修道士ドニーツォのマチルダの伝記に含まれている絵であり、実際にその場にいた人が見て描いた訳ではなく、恣意的に描かれている可能性があるということ。
マチルダの伝記ですから、マチルダの偉さを表すために描かれたのかもしれません。
何故、マチルダの取りなしが重要かと言うと、この城の城主でこの時点でイニシアティブを握っており、教皇の信頼も厚かったからで、伝記によると、皇帝がまずクリュニー修道院長に頼んだところ、教皇を説得できるのはマチルダしかいないと言われたとのことです。
ヨーロッパで胡椒が必要とされた理由はなんですか?
もちろん食べ物を美味しくし、薬効があって健康に良いと考えられていたからなのですが、
他にも珍しい物や美味しい物がある中で、何故、最も貿易品として好まれたのが香辛料なのか?
それ以前の陸路・海路を交えた中継貿易のころは勿論、大航海時代でもインド・東南アジアから物品を運んでくるのは大層な苦労ですから、商品は重量や体積当たりの価格が高価でなければなりません。
しかし、単に値段が高いだけでは、需要は王侯・大金持ちに限られてしまいます。大金持ちといえども毎日どんぶり一杯の香辛料を食べたりはしません。需要が限られている場合、あまり供給が増えると値崩れして、せっかく苦労して運んできても割に合わなくなります。
しかし、香辛料の場合、ほんの一振りで効果があり、小瓶1本でも結構持ちます。つまり、大金持ちでなくとも、ちょっと余裕のあるクラスなら購入可能なのです。大航海時代は中層クラスが増加していますから、需要は無限大であり、多少供給が増えても値は維持されるため、安心して運んでくることができるのです。
他にも珍しい物や美味しい物がある中で、何故、最も貿易品として好まれたのが香辛料なのか?
それ以前の陸路・海路を交えた中継貿易のころは勿論、大航海時代でもインド・東南アジアから物品を運んでくるのは大層な苦労ですから、商品は重量や体積当たりの価格が高価でなければなりません。
しかし、単に値段が高いだけでは、需要は王侯・大金持ちに限られてしまいます。大金持ちといえども毎日どんぶり一杯の香辛料を食べたりはしません。需要が限られている場合、あまり供給が増えると値崩れして、せっかく苦労して運んできても割に合わなくなります。
しかし、香辛料の場合、ほんの一振りで効果があり、小瓶1本でも結構持ちます。つまり、大金持ちでなくとも、ちょっと余裕のあるクラスなら購入可能なのです。大航海時代は中層クラスが増加していますから、需要は無限大であり、多少供給が増えても値は維持されるため、安心して運んでくることができるのです。
国の権力が弱体化するのはどういった事情があるのでしょうか?
権力が他の人や集団に移る場合と中央権力が地方に分散する場合がありますね。最高権力を持った君主の下には各自権力を持った人々がいて中央政府を構成します(中国なら官僚、外戚、宦官とか)。有能な君主はそれらのバランスを取ってイニシアティブを握る訳ですが、無能な君主だとそのバランスが崩れ、いずれかの権力者(集団)が実権を握ってしまう場合が前者で、バランスが崩れる中で各権力集団が抗争し共倒れになり中央権力が失われると、地方の権力者がそれぞれ自立・割拠して後者になります。
「権力」と言うのは、まあ仕組みですね。会社などを考えると、社長や課長が命令できるのは、彼らにカリスマ性があるというより、会社という仕組みが確立しており、その中で彼らが命令する立場にいるためです。
「権力」と言うのは、まあ仕組みですね。会社などを考えると、社長や課長が命令できるのは、彼らにカリスマ性があるというより、会社という仕組みが確立しており、その中で彼らが命令する立場にいるためです。
どこかの女王様と結婚した人は王さまになるんですか?
ヨーロッパで言えば、中世では女王と結婚した人は王となっており、女王に代わって、あるいは女王と共同で統治しています。貴族の女相続人と結婚した男性がその貴族の地位につくのと同様です。近世以降は、その国の事情や男性の身分などによりキング・コンソート(王格・配偶者)、プリンス・コンソート(王族格・配偶者)となることが多いようで、あくまで女王の夫という立場です。
西洋史の良さってなんでしょう?
近世以降、欧米はほぼ世界を支配しました。何故そうなったのか、同じ条件下にあった東アジアは何故立ち遅れたのか?現在のグローバルスタンダードと呼ばれるものも、我々が気づかずに従っている明治以降の慣習・規則の多くも欧米の慣習と思想に基づいています。それに関する理解がなければ、欧米の人々とのコミュニケーションは成り立たず、そのような慣習と思想ができた原因・理由を探求するのが西洋史の醍醐味と考えています。
イギリス王は国政の調停者というイメージが強いのは何故だと思いますか?
次のような理由ですかね。
1. ノルマン・コンクエスト以来、フランス・ドイツと比べると、イングランドの貴族は王に対する力が弱かったため、一致団結する傾向があった。
2. ヘンリー1世、2世、リチャード1世は、あまりイングランドにおらず、イングランドの内政は実質、イングランド貴族の合議制だった。
3. ヘンリー3世の時代にバロンの乱によりシモン・ド・モンフォールやエドワード1世が議会政治の基礎を築いた。
4. エドワード2世やリチャード2世に対するように、貴族の多数支持を得れば王を廃することができる風潮となった。
5. 百年戦争で戦費を調達するのに、王は議会の機嫌を取らなければならなかった。
1. ノルマン・コンクエスト以来、フランス・ドイツと比べると、イングランドの貴族は王に対する力が弱かったため、一致団結する傾向があった。
2. ヘンリー1世、2世、リチャード1世は、あまりイングランドにおらず、イングランドの内政は実質、イングランド貴族の合議制だった。
3. ヘンリー3世の時代にバロンの乱によりシモン・ド・モンフォールやエドワード1世が議会政治の基礎を築いた。
4. エドワード2世やリチャード2世に対するように、貴族の多数支持を得れば王を廃することができる風潮となった。
5. 百年戦争で戦費を調達するのに、王は議会の機嫌を取らなければならなかった。
殺人が罪とされたのはいつ頃からですか?
聖書にもあるように、あらゆる文明において殺人罪は存在し、おそらく人間が共同体を作ると同時に、正当な理由のない殺人は犯罪となったと思われます。現在でも、正当な理由があれば犯罪ではなく、戦争は戦時法規に従っていれば合法ですし、死刑が存在する国も多いです。
剣道みたいな、西洋のロングソードの武術ってありますか?
かってはフェンシング(西洋剣術)にロングソードも使われていました(1467年のドイツの教本に書いてあります)が、近世に入ると携帯しやすく決闘に使えるレイピアなど片手剣が人気になり、現在のフェンシングからは抜けてしまったようですね。
日本人にとって自殺は悪いというのは最近の価値観じゃないですか?
まあ、社会共同体の一員として、無責任に死ぬことは日本も含めてどの社会でも良くないこととされますが、欧米のキリスト教からくる罪悪感は日本にはないですね。欧米では、かっては自己殺人として犯罪と見なされていましたし、現在でもそのような見方はあります。ただ、江戸時代には主君や主人、親などの許しを得ずに勝手に死ぬことは不忠という考えはありました。
「植民地」という言葉の由来を教えて下さい。
元々、フェニキアやギリシアなどで新しい土地に都市を作って移り住んだのが植民地で、当初は元の都市に従属していたのが、やがて独立したりしてカルタゴのように本国以上に繁栄する都市もありました。
大航海時代には新大陸への開拓・植民が進みましたが、アフリカやインドなどでは航海のための補給拠点として海岸沿いの土地に少数の商人と駐留軍などが移り住むようになり、これがやがて周りの国を直接・間接に支配するようになったため、植民地化と属国化が同じ意味に使われるようになったのです。
大航海時代には新大陸への開拓・植民が進みましたが、アフリカやインドなどでは航海のための補給拠点として海岸沿いの土地に少数の商人と駐留軍などが移り住むようになり、これがやがて周りの国を直接・間接に支配するようになったため、植民地化と属国化が同じ意味に使われるようになったのです。
中世ヨーロッパでは、世継の王子の乳母はどんな身分から選ばれますか?
さすがに王の場合は召使といっても下層ではなかったんじゃないですかね。
中世ではないですが、ルイ14世の乳母(Wet Nurse)は王の法律家(attorney)の妻であるde la Giraudière夫人ということですので、中級の上ぐらいとは言えると思います。
日本では、有名な乳母は子育てのために選ばれるDry Nurseなのでそれなりの身分から選ばれていますが、ヨーロッパの乳母は乳を与えるWet Nurseで、たまたまその時期に出産した女性から選ぶため身分が低くなりがちだなのだと思います。教育係(Governess)などはまた別です。
中世ではないですが、ルイ14世の乳母(Wet Nurse)は王の法律家(attorney)の妻であるde la Giraudière夫人ということですので、中級の上ぐらいとは言えると思います。
日本では、有名な乳母は子育てのために選ばれるDry Nurseなのでそれなりの身分から選ばれていますが、ヨーロッパの乳母は乳を与えるWet Nurseで、たまたまその時期に出産した女性から選ぶため身分が低くなりがちだなのだと思います。教育係(Governess)などはまた別です。
中世ヨーロッパの兵士は大半が傭兵と聞いたのですが
中世の正規軍といえば封建騎士で、彼らは封建契約で年40日程度しか従軍しません。しかも封建契約の性質からいって領土内の防衛戦争しか従軍義務がありません。
そこで君主が外征する場合は兵を募るのですが、彼らは傭兵的立場で参加することになります。その中には君主の封建臣下もいますが、40日を超えた分は報酬をもらいます。君主の封建臣下でないものが、いわゆる傭兵と呼ばれます。
また北イタリアなどの都市国家は商人が中心なので、常にかなりの数の傭兵を雇っています。
そこで君主が外征する場合は兵を募るのですが、彼らは傭兵的立場で参加することになります。その中には君主の封建臣下もいますが、40日を超えた分は報酬をもらいます。君主の封建臣下でないものが、いわゆる傭兵と呼ばれます。
また北イタリアなどの都市国家は商人が中心なので、常にかなりの数の傭兵を雇っています。
中世ヨーロッパの人々は、中国などアジアのことをどれぐらい知っていた?
中世では色々忘れられて、世界はエルサレムを中心にせいぜいインドまでの丸い図(TO図)になっちゃいましたしね。十字軍の時に多少イスラム側から知識を得ていたでしょうし、その後の13世紀後半のモンゴルとの接触でもう少し中国の知識を得ていたでしょうが、1300年頃のマルコ・ポーロが多いに驚かれている訳ですから、一般にはほとんど知られていなかったでしょう。
また、ヨーロッパにアジアの美術品が入ってくるのはルネッサンス以降ですね。
また、ヨーロッパにアジアの美術品が入ってくるのはルネッサンス以降ですね。
中世ヨーロッパに仏教徒はいたのでしょうか。
まあ、どこまでをヨーロッパに含めるかですが、ロシア、ウクライナを支配したキプチャク汗国、金帳汗国(Golden Horde)には仏教徒がいたようです。金帳汗国のウズベク汗が仏教やシャーマニズムを禁止してイスラム教を国教に採用したという記述がありますから。
神様が存在するとしたらなぜ罪のない人達が災害や戦争で死ぬのですか?
唯一神は全知全能の慈悲深き神というが、全知全能なら冷酷であり、慈悲深ければ無能であるという言葉がありますね。
古来から天災は神の怒りとされており、戦争は神の神判を求める行為でした。
古来から天災は神の怒りとされており、戦争は神の神判を求める行為でした。
いわゆる平民から王や皇帝に上がった人と言えば、誰を思い出しますか?
ちょっと違った方向では、キプリングの「王になろうとした男」そのままに
ボルネオにサラワク王国を作ったジェームズ・ブルックとかね。
植民地時代には、もっと小規模で短期の例なら他にも同様のものがあると思うが。
ボルネオにサラワク王国を作ったジェームズ・ブルックとかね。
植民地時代には、もっと小規模で短期の例なら他にも同様のものがあると思うが。
イングランド人・ウェールズ人・スコットランド人・アイルランド人を順位付けて
社会的な地位など一概には言えませんが、
連合王国の貴族の順位付けでは、
イングランド、スコットランド、アイルランドの順となっています。
* ウェールズは早くにイングランド王国に合併されているためイングランドに含まれます。
連合王国の貴族の順位付けでは、
イングランド、スコットランド、アイルランドの順となっています。
* ウェールズは早くにイングランド王国に合併されているためイングランドに含まれます。
何故文化科学技術共に立ち遅れていた欧州が世界中に植民地を築けたのでしょうか?
これまた大きなテーマですね。近世以降、当の欧米人も含めてみんな考えていました。
当初、欧米人は白人が優秀だからと考えており、欧州の中世に文明が衰退したのには理由があり(ここでは省略します)、それを解消することによって世界の頂点に立ったと。現在ではさすがに思っている人はいても口にする人は少ないようです。
ジャレドダイアモンドの銃・病原菌・鉄では、一番大きく、横に長いユーラシア大陸が最も文明が進むのが必然であり、さらに温帯で海に近い地域が文明が最も進む条件であるため、ヨーロッパと東アジアだけが残ります。作者はヨーロッパが多数主義/民主主義の伝統があり、小国に分かれていたため競争が生まれ科学・文化が進歩したのに対し、専制的な東アジアでは巨大な中華帝国が存在し、君主の考え次第で進歩が阻害されるからとしてますが、あまり自信はなさそうです。
当初、欧米人は白人が優秀だからと考えており、欧州の中世に文明が衰退したのには理由があり(ここでは省略します)、それを解消することによって世界の頂点に立ったと。現在ではさすがに思っている人はいても口にする人は少ないようです。
ジャレドダイアモンドの銃・病原菌・鉄では、一番大きく、横に長いユーラシア大陸が最も文明が進むのが必然であり、さらに温帯で海に近い地域が文明が最も進む条件であるため、ヨーロッパと東アジアだけが残ります。作者はヨーロッパが多数主義/民主主義の伝統があり、小国に分かれていたため競争が生まれ科学・文化が進歩したのに対し、専制的な東アジアでは巨大な中華帝国が存在し、君主の考え次第で進歩が阻害されるからとしてますが、あまり自信はなさそうです。
何故ギリシャとマケドニアは同じ国ではないのですか?
現代のギリシャとマケドニアが同じ国ではないのは何故か?ならば
現代のマケドニア人は南スラブ系民族であり、現代のギリシア人もスラブ系の血はかなり引いているはずですが、ギリシア語とギリシア文化を受け入れているため別民族となります。マケドニアの土地自体は独立後のギリシアは欲しがっていたのですが、得ることができなかったのですね。
現代のマケドニア人は南スラブ系民族であり、現代のギリシア人もスラブ系の血はかなり引いているはずですが、ギリシア語とギリシア文化を受け入れているため別民族となります。マケドニアの土地自体は独立後のギリシアは欲しがっていたのですが、得ることができなかったのですね。
「Mc」「O'」「vić」などの類の名前について
西欧でファミリーネームが使われ始めたのは12-13世紀からで庶民まで使用するようになったのは15-16世紀頃です。それまでは、個人毎に同名の人と区別するためのサーネームを使っており、これが出身地、領地名、職業、あだ名、そして親の名前だったりします。
それで、ファミリーネームを決めるときに当主のサーネームをそのままファミリーネームにするか、一族の共通の先祖で尊敬されている人のサーネームを使ったのです。
誰それの子供という意味からすればおかしいでしょうが、出身地、領地名、職業、あだ名も子孫から見れば該当しないため同様といえます。
例えば、フランス王家のカペー家も初代ユーグのあだ名からきています。
>移民として新天地にうつって、先祖を敬いつつ、気分を新たにしようとか、そういうことでしょうか?
現地にもそのようなファミリーネームの人はいっぱいおり、移民は関係ないと思いますよ。
それで、ファミリーネームを決めるときに当主のサーネームをそのままファミリーネームにするか、一族の共通の先祖で尊敬されている人のサーネームを使ったのです。
誰それの子供という意味からすればおかしいでしょうが、出身地、領地名、職業、あだ名も子孫から見れば該当しないため同様といえます。
例えば、フランス王家のカペー家も初代ユーグのあだ名からきています。
>移民として新天地にうつって、先祖を敬いつつ、気分を新たにしようとか、そういうことでしょうか?
現地にもそのようなファミリーネームの人はいっぱいおり、移民は関係ないと思いますよ。
イル・モーロはなぜ処刑されたのですか?
まず、処刑はされていません。ノヴァラで逮捕された後、地下牢で8年間生きて獄死しました。
しかし、扱いは悪かったといえます。王侯に対する扱いではありません。
フランスはスフォルツア家を簒奪者と見ていますし、それ以上にイル・モーロが向背常ならず、甥殺しの悪評もあったため正当な君主として扱わなかったと思われます。
しかし、扱いは悪かったといえます。王侯に対する扱いではありません。
フランスはスフォルツア家を簒奪者と見ていますし、それ以上にイル・モーロが向背常ならず、甥殺しの悪評もあったため正当な君主として扱わなかったと思われます。
欧州の封建制で手工業者が貢物を受けることがあるのですか?
江戸時代に職人の親方が年貢を受け取ったりしていたのですか?
と質問されているようで何と答えて良いのやら。
親方が職人を働かせて、そこから歩合をとっても封建制の年貢ではないですね。
一般論としては封建制は土地を(貸し)与える代わりに軍役や労役・地代を受け取る関係を言いますので、手工業者には当てはまりません。
但し、イタリアの都市国家などでは手工業者の最上級クラスが貴族となり、他所の土地の所有権を持って領主になったりすることはありえます。
と質問されているようで何と答えて良いのやら。
親方が職人を働かせて、そこから歩合をとっても封建制の年貢ではないですね。
一般論としては封建制は土地を(貸し)与える代わりに軍役や労役・地代を受け取る関係を言いますので、手工業者には当てはまりません。
但し、イタリアの都市国家などでは手工業者の最上級クラスが貴族となり、他所の土地の所有権を持って領主になったりすることはありえます。
これまでで、世界の中心と言える国は?
中心といえるような武力と影響力という点で
↓
モンゴル帝国(元)はユーラシアを席捲しました。
↓
イスラム帝国と中国(唐)が世界を2分しています。
↓
ローマ帝国と中国(漢)が2強でしょう。
↓
ギリシア(ヘレニズム)
まあ、これにインドの王朝と遊牧帝国が加わると。
↓
モンゴル帝国(元)はユーラシアを席捲しました。
↓
イスラム帝国と中国(唐)が世界を2分しています。
↓
ローマ帝国と中国(漢)が2強でしょう。
↓
ギリシア(ヘレニズム)
まあ、これにインドの王朝と遊牧帝国が加わると。
貨幣経済と商工業の発展どっちが先?
相乗効果でどっちが先というわけではないですが、
敢えて言えば商工業の発展が必要条件
・商工業の発展に必要な要因の1つが貨幣の供給だが、他の要因(交通の安全、余剰物質の存在)も必要。
・しかし、商工業が発展しなければ、貨幣経済にはなりえず、なる意味もない。
敢えて言えば商工業の発展が必要条件
・商工業の発展に必要な要因の1つが貨幣の供給だが、他の要因(交通の安全、余剰物質の存在)も必要。
・しかし、商工業が発展しなければ、貨幣経済にはなりえず、なる意味もない。