神明裁判

神明裁判(しんめいさいばん)とは、何らかの手段を用いて神意を得ることにより、物事の真偽、正邪を判断する裁判方法である。古代中世(一部の地域では近世まで)において世界の各地で類似の行為が行われているが、その正確な性質は各々の宗教によって異なる。ヨーロッパでは試練による裁判(Trial by ordeal)、日本では盟神探湯(くがたち)が行われた。

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西ヨーロッパの神明裁判

中世の西ヨーロッパでは、一神教であるキリスト教カトリック)が強い影響力を持っており、物事の真偽、正邪の判断は何らかの方法により神意を得ることであり、決闘裁判戦争なども同様の意味を持っていた。しかし、これらの武力を伴う方法はカトリック教会の好むところではなく、神明裁判が推奨された。1215年にインノケンティウス3世により開かれた第4ラテラン公会議で火と水を使う神明裁判における聖職者の立会いは禁止されたが、あまり効果は上がらなかった。

神明裁判に使用された方法は時代、地域によって様々であり、次のような方法が使用された。基本的には正しい者には神の意志が働き、援助や奇跡が起こるという考えである。しかし、これらの方法そのものはキリスト教以前のローマゲルマン多神教アニミズムを起源としているものが多い。

  • 沸騰した湯、油の中の小石や指輪を拾い上げる。
  • 加熱したの刃の上を、または加熱した鉄塊を握って一定の距離(通常9フィート)歩く。上記共に数日後に火傷が治癒しだせば無実であり、化膿し始めれば有罪である。
  • 手を縛り水に沈める。沈めば無実、浮けば有罪。水は清浄であるため、穢れたものをはじくとされた。後の魔女裁判でも使用された。
  • 聖職者により清められた乾いたパンなどを口に入れ、のどに詰まらせれば有罪。
  • 原告被告共に十字架の横に立って腕を広げて伸ばし、先に腕を落としたほうが敗訴。
  • 殺害された死体に容疑者を近づけて、死体から血が吹き出れば有罪。(ニーベルンゲンの歌の中で記述されている)

日本

日本では「くがたち」の他、様々な「うけい」が行われている。 信長公記では、織田信長が火起請(火を使った誓約)を行った逸話が記載されている。

庄屋甚兵衛が一色村の左介を訴えて火起請が行なわれた。左介は加熱した横斧を取り落としたが、信長の乳兄弟池田勝三郎の被官であったため、立会人たちは成敗を躊躇っていた。たまたま、鷹野帰りに通りかかった信長がこれを聞き、不満に思い自ら火起請を行い、横斧を手に取り三歩歩いて柵に置いて「それ、見たことか」と叫んで左介を成敗させた。

その他の神明裁判

参考文献

  • 堀米庸三他、「世界の歴史3、中世ヨーロッパ」、中公文庫
  • Encyclopedia Britannica Eleventh Edition (1911), "ordeal"

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