ヤコブ・ヴァン・アルテべルデ

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ゲントの金曜市場に立つアルテべルデの像

ヤコブ・ヴァン・アルテべルデ(Jacob van Artevelde、1290年頃 - 1345年)は中世フランドルの政治家。百年戦争の初期にフランドル都市連合の指導者となった。賢人、ゲントの醸造者などと呼ばれる。

ゲントの商人の家に生まれ、毛織物で財をなした後、醸造業を営んだ。百年戦争に向かうイングランド王、フランス王の対立は、イングランドの羊毛に頼るフランドルの経済に大きな打撃を与えた。フランドル諸都市は経済的なつながりから親イングランドであったが、フランス王の力でフランドル伯となったルイ・ド・ヌヴェールは親フランス政策を取っていた。

1337年にアルテべルデは、ゲントの他、ブルージュイーペルを中心としたフランドル都市連合の成立を呼びかけて連合の指導者となり、フランドル伯を追放して、当初は英仏に対する中立政策を取った。しかし、フランス王フィリップ6世はフランドル伯の復帰を要求したため、1340年にフランドル都市連合はイングランド王エドワード3世をフランス王として認め、同盟(封建的臣従)関係を結んだ。

アルテべルデは半独裁体制を確立し、1345年までフランドルを繁栄に導いたが、エドワード3世の息子の1人をフランドル伯に擁立しようとしているという噂が流れ、1345年7月24日に民衆暴動により殺害された。

息子のフィリップが後にフランドルの指導者(1381 - 1382)となっている。

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