モンフェラート侯ボニファチオ

モンフェラート侯ボニファチオ(Bonifacio I del Monferrato、1150年頃 - 1207年)は第4回十字軍の指導者で、コンスタンティノープル攻略後、テッサロニカ王国を創設した。

ボニファチオは、モンフェラート侯ギヨーム5世の3男として生まれ、兄にギヨーム(ロングエペー)、コンラッドがいる。彼の父と兄2人は十字軍で活躍しており、兄ギヨームはエルサレム王女シビーユと結婚しボードゥアン5世の父となり、コンラッドは第3回十字軍時にティールの防衛に活躍し、シビーユの妹イザベルと結婚してエルサレム王になっている。

ボニファチオも若いころから数々の冒険譚があり、彼のトルバドールによって戯曲化されている。フリードリヒ1世ハインリヒ6世に従い、ホーエンシュタウフェン朝のイタリア攻略に参加した。1193年に兄の跡を継いでモンフェラート侯となり、1194年からシチリア遠征に参加する。

モンフェラート家はヨーロッパ中の有力な家系と縁組をしており、フランス王フィリップ2世ハインリヒ6世は従兄弟にあたる。当時、ピエモントはオック語圏であり、その宮廷は宮廷詩人騎士道物語等、文化の中心として栄えた。

1201年に第4回十字軍の指導者シャンパーニュ伯ティボーが亡くなった後、彼自身の軍歴とヨーロッパ王家との縁戚やエルサレム王国ビザンティン帝国オリエントの事情に詳しいこと等から、新しい指導者に選ばれた。

同年のクリスマスに従兄弟のドイツ王フィリップの元を訪れ、フィリップの義弟にあたるビザンティン帝国の亡命皇子アレクシオスと会っており、この時にコンスタンティノープル攻撃が計画されたと推定されている。

第4回十字軍はベネチア共和国の思惑もあり、ハンガリーのザラを攻略した後、アレクシオスの要請に従って、コンスタンティノープルを攻略した。詳細は第4回十字軍参照。

1204年のコンスタンティノープル攻略後、前イサキオス2世妃のハンガリー王女と結婚し、ラテン帝国皇帝の最有力候補と見なされていたが、強力な皇帝を嫌うベネチアの意向によりフランドル伯ボードワンが皇帝に選ばれた。ボニファチオはボードワンと対立し、同年、ギリシアに行きテッサロニカ王国を建国した。しかし、1207年9月にブルガリア帝国カロヤンに急襲され、ボニファチオは戦死し、跡は幼い息子のデメトリスが継いだ。

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