オックスフォード条項
オックスフォード条項(Provisions of Oxford)は、1259年にヘンリー3世がシモン・ド・モンフォールらの諸侯の要求により認めた国政に関する取り決めで、イギリス最初の憲法と見なされることが多い。
条項はラテン語、フランス語、英語で書かれており、州長官を通して各州に通知された。従来無かった英語が含まれている(マグナカルタ等、従来の文書はラテン語かフランス語で書かれている)のは、ヘンリー3世の外国人(ポワチエ、プロバンス等の南仏)重用への反発からくる配慮であるが、ノルマン貴族たちのイギリス化が進み始めている兆候でもある。
条項には次の規定が含まれている。この規定により王権は大きく制限され、事実上の貴族による寡頭制になったといえる。
1259年にオックスフォード条項は若干の変更を受け、ウエストミンスター条項に置き換えられた。1262年にヘンリー3世がローマ教皇の許可を得て、これらの条項を破棄したため、第2次バロン戦争が始まっている。1267年の王側の勝利によって、これらの条項は最終的に破棄されたが、その精神はエドワード1世の改革やその後のイギリスの政治に受け継がれた。