シャンパーニュ伯
シャンパーニュ伯(Counts of Champagne)は、フランスのシャンパーニュ地方を1022年から1314年まで支配した領主。ブロワ伯と深く関係し、両方を兼ねるものも多かった。ユーグの時に、正式にシャンパーニュ伯を称した。
チボー2世、アンリ1世の時代にフランス王家と抗争しながらも姻戚関係を深め、フランス有数の諸侯となった。十字軍にも関わり、アンリ2世はエルサレム女王イザベル1世と結婚しエルサレム王となり、チボー3世は第4回十字軍の指導者に選ばれたが出発前に病没した。チボー4世の時に母系相続によりナバラ王を兼ねる。
1316年にナバラ王を兼ねていたルイが父フィリップ4世の跡を継ぎフランス王ルイ10世として即位した時、シャンパーニュ伯領は王領に組み込まれた。以降、同地の代官が儀礼的爵位としてシャンパーニュ伯を名乗った。
歴代当主(在位)
- ウード1世(1022 - 1037)
- ブロワ伯ウードの息子
- エティエンヌ2世(1037 -1048)
- ウード1世の息子
- ウード2世(1048 - 1066)
- エティエンヌ2世の息子
- チボー1世(1066 -1089)
- ウード2世の弟
- ウード3世(1089 - 1093)
- チボー1世の息子
- ユーグ(1093 - 1125)
- ウード3世の弟
- チボー2世(1125 - 1152)
- アンリ1世(1152 - 1181)
- チボー2世の息子。領内の統治を心がけ、シャンパーニュ伯領をフランス有数の経済的、軍事的に豊かな土地に育てた。ルイ7世とエレアノール・ダキテーヌの娘マリーと結婚する。このため、フィリップ2世は、甥でかつ義兄弟ということになる。また、イングランド王リチャード1世、ジョンの義兄弟でもある。自由伯と称される。
- アンリ2世(エルサレム王)(1181 - 1197)
- アンリ1世の息子。第3回十字軍に参加し、エルサレム女王イザベル1世と結婚し、エルサレム王となる。母マリーの関係から、第3回十字軍に参加したイングランド王リチャード1世、フランス王フィリップ2世の両方の甥に当たる。
- チボー3世(1197 - 1201)
- アンリ2世の弟。兄がエルサレム王になったあと、シャンパーニュ伯となる。第4回十字軍の指導者となるが、出発前に病没。第4回十字軍の詳細な記録を残したジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアンの主人。
- チボー4世(ナバラ王)(1201- 1253)
- チボー3世の息子。継承後は、アンリ2世の遺児たちとの家督争いに悩まされる。さらに、ルイ8世と対立し、ルイ8世を毒殺したと噂された。ルイ8世妃のブランシェとの宮廷愛でも有名。後年、ナバラ王家が断絶したさい、母がナバラ王女だったためナバラ王となる。詩人王と称される。
- チボー5世(ナバラ王)(1253 - 1270)
- チボー4世の息子。若年王
- アンリ3世(ナバラ王)(1270 - 1174)
- チボー5世の弟。肥満王
- ジャンヌ(ナバラ王(1274 - 1305)
- アンリ3世の娘。フランス王フィリップ4世の王妃。
- ルイ(フランス王)(1305 - 1316)
- フランス王ルイ10世。フィリップ4世とジャンヌの息子。