テオバルド1世
テオバルド1世(Theobald I of Navarre、1201- 1253)はフランスのシャンパーニュ伯で、後に母系継承によりナバラ王。詩人王、遺腹王。シャンパーニュ伯としてはチボー4世。
シャンパーニュ伯チボー3世の息子として父の没後に生まれ、すぐにシャンパーニュ伯となる。当初は、エルサレム王となった伯父のアンリ2世の遺児たちとの家督争いに悩まされ、1215年から1222年まで抗争が続き、領地や金銭の割譲によって最終的に決着したのは1234年だった。
伯父、父の十字軍遠征により、シャンパーニュ伯領は莫大な借金をかかえ財政危機に陥っており、この点でも苦労することになった。
さらにフランス王ルイ8世と対立し、 アルビジョア十字軍時にアヴィニョンから勝手に陣払いをしたことで対立が明確になった。直後にルイ8世が急死したため、テオバルドが毒殺したと噂された。
彼とルイ8世妃のブランシェとの宮廷愛も有名であり、ルイ9世が即位しブランシェが摂政の時は、両者の関係は円満でテオバルドの政治的影響力は強まった。しかし1229年に、これに不満の他の諸侯達から攻撃を受け、ブランシェの援助によって危機を切り抜けたが、翌年、ルイ9世と対立し攻撃を受けた際には、領土の割譲により和解しなければならなかった。
しかし、1234年にナバラ王家が断絶したさい、母がナバラ王女だったためナバラ王となり、以降、大過なく晩年を迎えた。彼はトルバドゥールとしても有名であり、詩人王と称された。