鉄仮面または仮面の男
鉄仮面または仮面の男(The Man in the Iron Mask)とは、実際に1703年までバスティーユ監獄に収監されていた「ベールで顔を覆った囚人」をモチーフに作られた伝説、作品をいう。
その囚人は1669年に、ルイ14世の大臣からピネロル監獄の監獄長サン・マール侯爵に預けられ、侯爵が自ら世話をしたという。このため、早くも囚人の正体に関する噂がささやかれ始めた。以降、サン・マール侯爵の転任と共にその囚人も移送され、サントマルグリット島を経て、1698年にバスティーユに移送された。当時のバスティーユの看守は、「囚人は常にマスクで顔を覆われ、副監獄長直々に丁重に扱われていた」と記録している。囚人は1703年11月に亡くなり、彼の所有物などは全て破棄されたという。
1890年 軍歴史学者Louis Gendronが、ある暗号化された一連の手紙を解読させたところ、ルイ14世の暗号係により作成されたメッセージであることが判明し、その内の1つには、逮捕されたVivien de Bulonde将軍とその罪に関する事柄が記されていた。それによると、ルイ14世は、オーストリアで軍需物質、傷病兵を置き去りにして退却した罪で将軍をピネロル要塞に収監することを命令し、彼を「個室に監禁し、昼間はマスクで顔を覆ってのみ胸壁を歩くことを許す」と指示していた。日付も囚人が最初にピネロルに収監された日と一致しており、仮面の囚人がVivien de Bulonde将軍であったことは、ほぼ間違いないと思われる。
伝説
しかし、当時の噂では、フランス軍元帥、オリバー・クロムウェル、 フランシス・ド・ヴァンドーム(Francois de Vendome、フロンドの乱の指導者の1人)等が挙げられており、その後、様々な憶測がなされた。主な推測だけでも以下のようなものがある。
- バイエルンのシャルロッテ・エリーザベトはウィリアム3世暗殺未遂(フェンウィック)事件(1696年)に関わったイギリス貴族(ジャコバイト)だと主張した。
- ボルテールは、宰相ジュール・マザランとルイ13世妃アンヌ・ドートリッシュの息子で、ルイ14世の庶兄であるとした。デュマはこの説を双子の兄にして『鉄仮面』を書いた。
- 1801年にナポレオンの支持者に広まった説では、囚人はルイ14世本人で、マザランにより、扱いやすい替え玉と取り替えられたというもので、この話には、囚人が獄中で子供を作り、その子が後にコルシカ島へ行き、ナポレオンの祖先になるという尾ひれも付いている。
- 『仮面の男』(Barnes、1908年)ではチャールズ2世の庶子ジェームス・デラ・クローチェ(James de la Cloche)で、フランスとの連絡役を務めていたが、イギリスとの関係の露呈を恐れたルイ14世によって監禁されたと言うもの。
作品
囚人が被っていた仮面はいつの間にか鉄仮面になり、そのグロテスクなイメージから、様々な文学作品、映画に取り上げられている。さらに本来の伝説からかけ離れて「鉄仮面の囚人」だけが一人歩きした三次派生物と言うべき作品も多く作られた。
- 『鉄仮面』- ダルタニャン物語、第三部『ブラジュロンヌ子爵』、デュマ著
- 映画『仮面の男』(1998年)