第8回十字軍

第8回十字軍(だい8かいじゅうじぐん、1270年)は、フランス王ルイ9世が主導した十字軍。イスラム教国であるチュニジアを攻撃したが、飲み水の劣化や熱さにより病気がはびこり、ルイ9世も亡くなったため引き返した。

第7回十字軍の失敗の後、ルイ9世は内政に励んできたが、健康の不調で先が長くないと感じ、死ぬ前に再び十字軍を起こすことを望んだ。この間にマムルーク朝サルタンとなったバイバルスは、シリアにおけるキリスト教都市の大部分を征服しており、アッコントリポリ等がキリスト教側に残るのみだった。

ルイ9世の弟でシチリア王となっていた野心家のシャルル・ダンジューは、自己の勢力拡大のために、以前、シチリア王国の勢力内にあったが現在は自立しているチュニジアの征服を提案した。チュニジアのサルタンは、以前からキリスト教徒との付き合いがあり、キリスト教への改宗も考えているといわれており、ルイ9世はそれを支援しチュニジアを十字軍の供給基地にしようと考えた。

しかし、十字軍がチュニジアに上陸すると現地勢力の抵抗を受け、滞陣中に飲み水の劣化や暑さにより病気が蔓延しだし、8月にルイ9世の他、娘婿のナバラ王テオバルド2世なども病で亡くなった。シャルルと王太子フィリップ(フィリップ3世)は10月まで滞陣し、チュニジアとの貿易の回復、キリスト教徒の保護、賠償金等の条件でサルタンと和睦した。フィリップはフランスに戻り、シャルルは新たに到着したイングランド王太子エドワード(エドワード1世)と共にアッコンへ向かった(これを第9回十字軍と呼ぶことがある)。

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